握手での感じ方についてもう少し。
前回まで、握手のように一体感を持とうという気持ちで触れたとき、違和感を持ったところが異常になるというお話をしてきました。
それを読んで、私がこれまで触診の基本としてお伝えしてきたことと、矛盾を感じた方もいたかもしれません。
私は触診をするとき、異常な部位を特定するため、目標を持って行うようにとアドバイスをしてきました。
「まわりと比べて、かたさが強くなっているところはどこか」という意識を持って触れる触診ですね。
これは、はじめから自分と相手を分け、自分の視点で対象を識別しようとするわけですから、一体感とは正反対になります。
異常な部位を特定しようとする触診を、私は便宜的に「探索的触診」と名づけています。
(これに対して通常の骨のランドマークを触れ、筋の起始から停止に向けてたどっていく触診を「系統的触診」とし、セミナーなどで解説しています。)
探索的触診では、制限を探すことも主な目的にするという意味で「探索」と表現したのですが、それを「探る」ような手つき触れると解釈されても、文字の意味から仕方がないと思います。
実ははじめのころ、触診を教えるときに一体感をもつところからスタートしていた時もありました。
ところがそれでは、技術としてピンと来ない方が少なくなかったのです。
一体感という漠然としたものですから、むりもありません。
そもそも、何が正常で何が異常かを知っていなければ、違和感を持つことはできないものかもしれません。
正常や異常を知るためには、ものごとを識別しやすいようにした方が理解はスムーズです。
そのため、とにかく技術としての触診を身につけられるように、周囲と比較してかたい部位を探すという手段を取るようになりました。
この方法は比較的上手くいきました。
しかし、触診を受ける患者さんには、反対に違和感を持たせてしまう可能性が生まれます。
例えば、みなさんも誰かと話をしていて、相手があからさまに自分の腹を探るような話の仕方をしてきたら嫌な気持ちになるはずです。
会話もはずみません。
触れて感じ取ろうとする時も同じです。
探り出そうとする触れ方、相手の腹を探るような触れ方は嫌がられる可能性が高いでしょう。
ですから望ましいものとはいえません。
そうはいっても、やはりはじめのうち、とくに練習のときは探るような触診でも仕方がないと思います。
さまざまな状態を知覚する経験を積んでください。
ただし注意していただきたいのは、探るような触診をすると手先に力が入りがちになるということです。
身体を使った「握手」という力の加え方を忘れないで下さい。
十分に慣れてきたら、心理カウンセリングでいう傾聴するような気持ちで触れるようにしましょう。
自分をオープンにして、手から伝わる相手の情報を受け入れるような気持ちです。
積極的に受け身になる、積極的受容性を持つと呼んでもよいかもしれません。
やがて握手をするときの一体感を持つ気持ちで触診したとき、相手の身体に何か異常があれば、そこで手が止まるようになります。
異常のある部位に違和感を持ってさらに調べているとき、こんどはその異常な部位とセラピストが一体となっているかのような感覚を持ちます。
このとき触診をされている患者さんも、不快に感じている様子はありません。
印象を聴くと「わかってくれた」「見つけられた!!」と感じるようで好意的なものだそうです。
なかには「やられた(?)」という気になったという方もいらっしゃるようです。
余談ですが、私は線維化を除く方法もよく使うので、とっても痛い治療を行うことが少なくありません。
そのような治療を受けたある患者さんの印象は、「死ぬほど痛かったけど、ヤバイ感じはしなかった」というものでした。
ハードながらも一体感を持たせるような触れ方と、刺激のコントロールができればこのようなアプローチも可能になります。
一体感についてここまでは私自身が体験し、あるていど整理できたことなので、みなさんにお話しできます。
その先に見える境地もあると思います。
それがどのようなものか、私も先を楽しみに一歩ずつ進んで行きたいと思います。
前回まで、握手のように一体感を持とうという気持ちで触れたとき、違和感を持ったところが異常になるというお話をしてきました。
それを読んで、私がこれまで触診の基本としてお伝えしてきたことと、矛盾を感じた方もいたかもしれません。
私は触診をするとき、異常な部位を特定するため、目標を持って行うようにとアドバイスをしてきました。
「まわりと比べて、かたさが強くなっているところはどこか」という意識を持って触れる触診ですね。
これは、はじめから自分と相手を分け、自分の視点で対象を識別しようとするわけですから、一体感とは正反対になります。
異常な部位を特定しようとする触診を、私は便宜的に「探索的触診」と名づけています。
(これに対して通常の骨のランドマークを触れ、筋の起始から停止に向けてたどっていく触診を「系統的触診」とし、セミナーなどで解説しています。)
探索的触診では、制限を探すことも主な目的にするという意味で「探索」と表現したのですが、それを「探る」ような手つき触れると解釈されても、文字の意味から仕方がないと思います。
実ははじめのころ、触診を教えるときに一体感をもつところからスタートしていた時もありました。
ところがそれでは、技術としてピンと来ない方が少なくなかったのです。
一体感という漠然としたものですから、むりもありません。
そもそも、何が正常で何が異常かを知っていなければ、違和感を持つことはできないものかもしれません。
正常や異常を知るためには、ものごとを識別しやすいようにした方が理解はスムーズです。
そのため、とにかく技術としての触診を身につけられるように、周囲と比較してかたい部位を探すという手段を取るようになりました。
この方法は比較的上手くいきました。
しかし、触診を受ける患者さんには、反対に違和感を持たせてしまう可能性が生まれます。
例えば、みなさんも誰かと話をしていて、相手があからさまに自分の腹を探るような話の仕方をしてきたら嫌な気持ちになるはずです。
会話もはずみません。
触れて感じ取ろうとする時も同じです。
探り出そうとする触れ方、相手の腹を探るような触れ方は嫌がられる可能性が高いでしょう。
ですから望ましいものとはいえません。
そうはいっても、やはりはじめのうち、とくに練習のときは探るような触診でも仕方がないと思います。
さまざまな状態を知覚する経験を積んでください。
ただし注意していただきたいのは、探るような触診をすると手先に力が入りがちになるということです。
身体を使った「握手」という力の加え方を忘れないで下さい。
十分に慣れてきたら、心理カウンセリングでいう傾聴するような気持ちで触れるようにしましょう。
自分をオープンにして、手から伝わる相手の情報を受け入れるような気持ちです。
積極的に受け身になる、積極的受容性を持つと呼んでもよいかもしれません。
やがて握手をするときの一体感を持つ気持ちで触診したとき、相手の身体に何か異常があれば、そこで手が止まるようになります。
異常のある部位に違和感を持ってさらに調べているとき、こんどはその異常な部位とセラピストが一体となっているかのような感覚を持ちます。
このとき触診をされている患者さんも、不快に感じている様子はありません。
印象を聴くと「わかってくれた」「見つけられた!!」と感じるようで好意的なものだそうです。
なかには「やられた(?)」という気になったという方もいらっしゃるようです。
余談ですが、私は線維化を除く方法もよく使うので、とっても痛い治療を行うことが少なくありません。
そのような治療を受けたある患者さんの印象は、「死ぬほど痛かったけど、ヤバイ感じはしなかった」というものでした。
ハードながらも一体感を持たせるような触れ方と、刺激のコントロールができればこのようなアプローチも可能になります。
一体感についてここまでは私自身が体験し、あるていど整理できたことなので、みなさんにお話しできます。
その先に見える境地もあると思います。
それがどのようなものか、私も先を楽しみに一歩ずつ進んで行きたいと思います。