またまた週刊文春連載、先崎プロの「浮いたり沈んだり」を話題に。
今週号の話題は
「外出先の蕎麦屋でクレームをつけたところ、『すみません』という一言がなくてガッカリした」
という話。
謝罪の限らず挨拶など、日本の美徳とも言えるコミュニケーションマナーが廃れつつあるなと感じていたので、深く首肯した。
たとえ心がこもらなくても。形だけでもやるのとやらないのでは、随分気分が違うもの。
我が身に置き換えると、タイゼムの件ということになる。
終局の際に「ありがとうございました」と言った類の挨拶が、ほとんどない。
相変わらず初手が、右下ばかりだ。
もっとも最初に挨拶する人は半々ぐらいはいるし、例が中韓の人がほとんどなので気にしないようにしているが…。
ただそれで感化され、日本も
「面倒くさいし、別にテケトーいいじゃん」
という風潮になると、それはイヤだ。
私自身かなり面倒くさがりでもあるし、テケトーな人間なのはこのブログが証明しているが、やっぱり負けても勝っても、挨拶一つあればそれがオリのように後に残ることはないし…。
「勝敗は兵家の常」という気分で、フレッシュに次の対局に挑める。
挨拶なしの人ほど打っていて、言葉は悪いが
「汚い打ち方だな」
と感じるのは、私だけだろうか?
韓国や中国の人にまでうるさくは言わないけれど、せめて日本の人はそういった礼節を失って欲しくない。
たかだか定型文を一つをクリックするのが「面倒」という感覚は、出来れば少数であって欲しい。
たとえ国際戦などで、一番でなくても、
「日本はマナーに関しては、他の国を圧倒しますね」
という立場であって欲しいと強く願っている。
そりゃ一番なのが良いけどね。
またそういう棋道を失わないことが、今後も「長く」囲碁が日本に残る秘訣だとも思う。
今週号の話題は
「外出先の蕎麦屋でクレームをつけたところ、『すみません』という一言がなくてガッカリした」
という話。
謝罪の限らず挨拶など、日本の美徳とも言えるコミュニケーションマナーが廃れつつあるなと感じていたので、深く首肯した。
たとえ心がこもらなくても。形だけでもやるのとやらないのでは、随分気分が違うもの。
我が身に置き換えると、タイゼムの件ということになる。
終局の際に「ありがとうございました」と言った類の挨拶が、ほとんどない。
相変わらず初手が、右下ばかりだ。
もっとも最初に挨拶する人は半々ぐらいはいるし、例が中韓の人がほとんどなので気にしないようにしているが…。
ただそれで感化され、日本も
「面倒くさいし、別にテケトーいいじゃん」
という風潮になると、それはイヤだ。
私自身かなり面倒くさがりでもあるし、テケトーな人間なのはこのブログが証明しているが、やっぱり負けても勝っても、挨拶一つあればそれがオリのように後に残ることはないし…。
「勝敗は兵家の常」という気分で、フレッシュに次の対局に挑める。
挨拶なしの人ほど打っていて、言葉は悪いが
「汚い打ち方だな」
と感じるのは、私だけだろうか?
韓国や中国の人にまでうるさくは言わないけれど、せめて日本の人はそういった礼節を失って欲しくない。
たかだか定型文を一つをクリックするのが「面倒」という感覚は、出来れば少数であって欲しい。
たとえ国際戦などで、一番でなくても、
「日本はマナーに関しては、他の国を圧倒しますね」
という立場であって欲しいと強く願っている。
そりゃ一番なのが良いけどね。
またそういう棋道を失わないことが、今後も「長く」囲碁が日本に残る秘訣だとも思う。