対局日誌

ネット囲碁対局サイトでの、私の棋譜を記録していきます。
全くの初級者がどう成長していくか、見守ってください。

囲碁の世界(書評)

2005-04-02 23:52:49 | 棋書

 父のベッドサイドは、少年にとってちょっとした宝島だった。
 少年の父は寝床で読み終えた本をどんどん脇に積んでいく癖があり、その堆く積まれた本の中には難しい経済書や哲学、政治学の本だけでなく、滅法面白い小説やミステリ、軍記物が混じっていることがあった。
 それは持っている少年少女向けの本よりずっと難しかったが、その難しさがちょっと大人になった気分にさせたし、少年少女向けのオブラートにくるまれていない世界は彼をゾクゾクさせてくれた。
 彼は自分の持っている本に飽きると、ベッド脇の本のジャングルを探険し、宝物の本を探り当て、その戦果を父のベッドに寝転がってが好きだった。

 ある晴れた春の日。退屈した彼は、またいつものように、暖かい日差しの射す父のベッドにダイビングした。埃が舞い上がる中、ふかふかの毛布の中からめぼしい獲物がないかと本の山を睨む。と、見つけた戦果は一冊の新書。『囲碁の世界』とある。
 囲碁と言えば、日曜になると父がテレビの前にかじりつく得体の知れないゲーム。ゲーム好きの彼もちょっと見てみたことがあったが、よくわからないしちっとも面白くなかった。しかし以前見つけだした宝物、『囲碁殺人事件』が面白かったことが、少年にちょっと読んでみようという気にさせた。
 幸い、あまり棋譜は載っていない。もっとも少年は棋譜という言葉すら知らないが。
 読み始めると思った以上に面白い。
 特に本因坊丈和と幻庵因碩の名人位を巡っての争いは、少年に時間が経つのを忘れさせた。

「当代随一の実力を持ち、名人碁所につくことを幕府に願い出た丈和。一方、丈和にまだ及ばないもののより若く、名人位への野望に燃える幻庵はその就任に異を唱える。
『丈和は名人位にふさわしくない』
 何とか争碁、すなわち囲碁の勝負に丈和を引きずり出し、盤上で決着をつけたい幻庵。幻庵の実力を知る故、それを避けたい丈和。
 宮廷も顔負けの陰謀劇の中、政治的手腕に勝る丈和は結局、名人碁所に就任
する。
 収まらないのは幻庵。諦め悪く、その後もあの手この手をつかって丈和を勝負の場に引きずり出すことに成功。差し向けたる刺客は愛弟子赤星因徹。弟子に破れたとなれば名人の面目も丸つぶれである。
 こうして始まった対局。因徹は丈和得意の大斜に温めていた秘手をもって応じ、大きくリード。苦悩する丈和。
 しかし対局2日目、丈和は歴史に残る『三妙手』を放って逆転し、破れた因徹は悲嘆のあまり吐血し倒れるのであった…」

 いつしか暖かかった日差しが、橙色に変わり夕暮れになっていたことに少年は気づいた。温もりの残るベッドから起きあがり興奮冷めやらない彼は、帰って来た父に囲碁を教えてくれるよう頼んだ。

 こうして少年は名人への第一歩を踏み出………


 さなかったんですけどね。上に挙げたのは、多少脚色があるものの実話。もちろん少年は私です。思い出深い一冊。
 当時は知らなかったのですが、著者の中山典之六段は碁界きっての文才。代表作「実録囲碁講談」らの著作の他、ライターとして多くの棋書に関わっています。将棋界で言えば河口老師(「将棋世界」にて「対局日誌」を連載)のようなポジションですか。両者ともちょっと堅いところもあるのですが、碁、将棋盤なしでも読ませつつ、同時に盤上の機微もしっかり浮き彫りにする文章で、私は大好きです。あ、カギ括弧の中の丈和対幻庵は私が要約ものです。念のため。
 丈和対幻庵は一遍の小説に出来るくらい面白い題材なので、果たして「囲碁の世界」そのものが面白かったのか、ちょっと心もとないのですが、そういうことを割り引いても、子どもに楽しんだということは事実。争碁の他はどんな内容だったかちょっと覚えていないのですが、多分、今読み返しても楽しめるでしょう。囲碁の本としては珍しく、長く版を重ねていますし。

 囲碁はこういう歴史的奥行きがあるのが良いですよね。最強談義に江戸初期の道策や江戸後期の秀策が候補に挙がるなんて、将棋じゃ考えられませんもの。将棋の棋聖と呼ばれる天野宗歩にしても先崎八段に「久保八段ぐらいはやれるか」ぐらいの評価しかされていません。対して道策は「実力十三段」という呼び声もあるという『囲碁の世界』の記述に驚いたことは記憶に残っています。

 囲碁の実力アップには役に立たないかもしれませんが囲碁に疲れた時、「ヒカルの碁」だけでなくこういう囲碁の歴史的な部分に触れてみるのもまた一興。一層囲碁が楽しくなると思います。