さっぽろ物理塾です

ここは私の五感と第六勘の場所です。
過去現在未来の時空を行き来するでしょう。
希望を込めての日記・エッセイです。

札幌市の縄文文化講演会

2013-02-17 11:56:10 | 日記・エッセイ・コラム

2月16日(土)、かでる2・7で、札幌市埋葬文化センター「縄文文化とさっぽろの遺跡」
講演会がありました。

聞いた甲斐がありました。縄文人は、西日本よりも東日本に多く住んでいた。
東北から北海道の住居地域間に規則性がある。
縄文遺跡は択捉島から沖縄まで見つかっている。

小学生の頃から、この地にはどんな人が住んでいたのだろう、と興味しんしんでした。
今でもそうです。パソコン「お気に入り」にいくつか入れています。

若い頃から、社会科の先生について発掘をしていたものです。
各地の丘・泉が湧き出る所・日当たりが良い所・近くに山々がある所・安定した川を
見下ろせる所・遠浅の海岸を見下ろせる所に立つことがあります。

すると、ここに暮らせると良いだろうな、と気持ちが良くなる場所があるものです。
特に、まだ草が生い茂らない春先のみわたしが良い頃に、山に入り野に立つと感じる
場所があるものです。

うっすらと平らになっている場所があるものです。差し支えのない場所であると、幅
30㎝位のトレンチを掘ります。地面の状態を見て、勘で深さを見当つけます。
すると、境目がある地層や並べた石や炭化したものや場合によっては、魚や獣の骨
が見つかることもあります。深いほど、古いのでしょう。
いろいろの所から黒曜石の矢じりや各種の石器が現れます。

北海道各地を開拓した農家で、開墾していると矢じりや壺や並べ石がずいぶん
あったものだ、と聞きました。深耕でも矢じりが出ることがあるとも聞きました。
私が手にした矢じりなどの石器は、ほとんど人にあげてしまいました。

北海道日本海側の川が流れ込む景色の良い岩内などの海岸は、不思議です。
北海道では、続縄文期になるのでしょう。鉄剣の部分や兜の部分や鎧の部分が、砂
に埋もれているのが現れることがあるそうです。大陸のものに見えるということです。
今昔物語集巻31第11を読んだときに、私はこの文章の場所は岩内が有力な候補
と思いました。阿部時頼の話です。

北海道の縄文文化の研究は、これからが楽しみであるなと、感じました。
日本の縄文人は、いわゆる弥生人とどうかかわって日本人化していったのか、と
強く知りたくなりました。

祓や祝詞には、「集いに集いて、語りに語りて」をとても強調しているのです。
聖徳太子の17条憲法にある「万機公論に決すべき」に脈絡を感じるのです。
北海道アイヌの物語を読んでいると、共通の脈絡を感じます。部族間の紛争は、
よほどのことがないと戦が起こっていないのです。
紛争は、チャランケとして、リーダーかリーダーの意を受けた全権を託された
者が根気強く会議をしているのです。
アメリカインディアンも、この傾向があると聞きました。

古代の世界文明は、このような傾向を感じません。認識不足かも知れませんが、
戦争の歴史を感じます。近代の欧米・日本を含めたアジアに戦争の歴史を感じます。
現代は、地球人たる人類は、戦争では人類が持たないことを知っています。
これだけでも、人類の凄い進歩です。

縄文文化が7000年も続いた叡智を見つけ出したいものです。
しかし、決定的に異なることがあります。
私から見ると、縄文人の生産と消費は極小のエネルギーのやり取りです。
縄文人間も、自然界を相手のもです。
現代文明は、莫大な生産と消費の世界です。原子核分裂反応エネルギーを利用
するほどの極大のエネルギーのやり取りです。

縄文人の叡智は、人間生存の基本でしょう、きっと。
21世紀の地球人は、戦争をしない叡智を、まだ見つけていないのでしょう。
早急に見つけたいものです。

エントロピー拡大が発散を招く物理法則があります。
人類の極大エネルギーのやり取りの熱力学を、工夫しなくてはなりません。

音楽が数学にあふれているように
生活が物理であふれています。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿