さっぽろ物理塾です

ここは私の五感と第六勘の場所です。
過去現在未来の時空を行き来するでしょう。
希望を込めての日記・エッセイです。

さっぽろ物理塾  五感を意識しての科学

2012-04-06 10:05:15 | 日記・エッセイ・コラム

人間は全身がすごいセンサーで覆われています。

頭部に、視覚・聴覚・嗅覚・味覚が集中しています。

頭部を含めて、全身に触覚が発達しています。

この五感でさまざまな情報を感知して、さまざまに反応します。

感情をもったり、積算して知性とします。組み立てて論理を構成します。

この論理を駆使して、応用力を高めます。

これが、物作りの能力となります。

反応することで、身体機能を高めます。

人が、感じて、知って、考えて、知恵を持って、行動する。

これが、学習であり、行動であり、生活であるのでしょう。

見て、美しいと感じる、素敵と感じる、大変と感じる、危ないと感じる。感度を測る。

聞いて、素敵と感じる、聞き分ける、いやだと感じる。dbを測る。

嗅いで、いい香りと感じる、嫌な香りと感じる。でもそのうちに当たり前に感じる。強弱を測る。

味わって、苦い・塩辛い・渋い・甘い・旨いと感じる。好き・嫌いを感じる。濃淡を測る。

触れて、いい感触、嫌な感触、軟硬を測る。皮膚反応で赤外線・紫外線も感知する。

この感性を意図すると、身の回りの物理を始めると、実感があるから面白く勉強が進む。

身の回りのものごとを知りたい分かりたい感性が高まるのです。

この世に、すっかり分かっているものごとは一つも無いでしょう。

だから、分かることの段階が面白いのです。

子供から大人の段階が連続するのでしょう。

植物や、動物のように、個人の差異はあるのが当然です。

平等の定義はとても限定的です。基本的には、平等に扱ってはならないのです。

五感を働かせての経験があって、あらゆるものごとの「物づくり」や「知識」が進むのでしょう。

そういう過程で、第六感がひらめくのでしょう。

生活があるのでしょう。

生産があるのでしょう。

加工があるのでしょう。

サービスがあるのでしょう。

この循環が人間社会を作るのでしょう。

国家が成立し、経済が成り立ち、国際社会が機能するのでしょう。

こう思うと、勉強はおもしろいものです。

何でも勉強ですね。

失敗も糧になりますね。

ただし、失敗が多い人は周囲の人達を困らせます。

素直な気持ちになって、謙虚な気持ちになって自己改造をしましょう。

物理の手法でヒントを得ると、自己改造は進みやすい、と考えています。

素直な気持ちになって、謙虚な気持ちになることにつきます。

あるとき、あなたの美学は?と聞かれて、私は自分の感性が変わりました。

その人に、深く感謝しています。