大雪の空

46歳から始めて嵌ってしまった山歩きの記録と野球などの雑記帳。時々帰郷中の島暮らしの日常。

中央アルプス縦走 1998年9月

2010年05月16日 | 八ヶ岳・中央アルプス他
千畳敷のロープウェイが工事で運休というので空木から木曽駒へ縦走することにした。
丁度T氏が駒ヶ根に車で行くとのことで便乗する事にしたのだ。
予想通り客が少なくて静かな営業小屋だった。
しかし歩く途中で水切れとなりとんでもないことになった。

1998年9月12日-14日(山中3泊4日、避難小屋と営業小屋泊)(単独)

1.初日
登山口から池山小屋まで
11:50-14:40

2.二日目
池山小屋から木曽殿山荘
5:10-6:30マセナギ-10:00分岐-10:40空木避難小屋11:40-
13:40空木岳-16:00

3.3日目
木曽殿山荘から木曽駒ケ岳-七合目避難小屋
6:00-10:20檜尾岳-16:00中岳-16:40駒ケ岳-18:10八合目-18:50

4.4日目
七合目避難小屋から駒の湯へ
6:10-10:20

バス停で待っていると登山者が一人いて?
どこに行くのかと聞いたらロープウェイというので今年は運休というと絶句。
折角なので空木から登ったらと言ったらそうするというので一緒に歩いた。
池山小屋は倒壊寸前の物凄い小屋だったが我慢して寝た。寝袋などは避難小屋2泊なので
用意していたが、これほどの荒れようは予想していなかった。
夜は星が趣味だという東京から来たK氏に星を教えてもらった。
アンドロメダ大星雲の見つけ方やらオリオンの大星雲、夏の大三角などを教えてもらった。
花に続いて楽しみがまた増えた。食事は予備があったので分けてやった。

翌日は我慢の登りだった。K氏が先行してほぼ単独状態で歩いたが、その方が気楽でいい。
コースは難所といわれている所もどうと言うことも無く、避難小屋に着いて昼食。
それからの登りは全く足が上がらずに2時間もかかってしまった。
食事した後は1時間程度ノンビリしたほうがいいのだがどうしても歩き出してしまうのだ。
登りついたら超展望が待っていた。
北アルプス、南アルプス、木曽の御嶽などと直前に堂々とした南駒ケ岳、これから向かう
宝剣、木曽駒の稜線と三の沢岳など豪華そのもの。
しばらく楽しんでから下山に入ったが、南駒はキリリとして格好がよく、絶対に登ろうと決めた。
木曽殿越へは巨岩の間を降りたが結構花が健気に咲いていて感心した。
山荘で先行していたK氏と再会したが、明日からは別行動だ。
水は0.5リッターが300円!と言うので当然汲みに出た。5分も歩けば着く近場なのに
なんで300円なんだ。
それでも買う奴がいるんだから驚くよなあ。
さすがにあの悪夢の涸沢小屋とは違ってフトンは一人一枚でホットする。

いよいよ核心部の縦走でワクワクするが、何だか荷が重く水を1.5リッターと抑えたのが
大失敗。あとでひどい目に会うことになろうとは。
稜線にはコマウスユキソウが残っていてくれた。小振りでポッチャリした可愛い花だ。
チョウノスケソウの大群落があったが、残念ながらとっくに終わっていた。途中でラーメンを
食ったのが間違いだった。500CC以上を使ってしまい、島田娘までで300CCくらいに
なってしまいチビリチビリとなめた。
宝剣の手前で末期の水よろしく一気飲みした。
宝剣自体はホールドがしっかりしており、問題なく通過。宝剣山荘で水を購入して思う存分
飲んだが後の祭り。干からびた身体にはすぐには水は浸み込まない。
木曽駒への登りは10歩歩いたら休むという体たらく。
8合目あたりは巨岩の道で楽しかったがペースは全然上がらず、七合目の小屋にやっとこさ
たどり着いた。後は下山だけとなり一安心したが最悪の水切れだった。
小屋は新築で薪とストーブがあり、なかなかいいではないか。
ところが数年後に火事で焼けてしまいまた再建したらしい。
同宿の名古屋の人に「島田娘」が雪形からとった山名だと教わった。

最終日は下山途中で物凄い雷雨となったが樹林帯のおかげで何とも無かった。
ウンザリさせられてばかりの樹林帯もすこしはいい目をみせてくれるらしい。
びしょぬれで着いた「駒ノ湯」の従業員が古新聞をくれたり、とても親切でただ感謝!
木曽福島で蕎麦を食べてから電車に乗った。

次はロ-プウエイを使い、避難小屋に2泊した越百山までの縦走の記録。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

袈裟丸山 1998年5月

2010年05月16日 | 関東周辺
そんなに知られていない山だと思っていたが何と300名山だった。
ここの特色は林相の美しさだろう。若い木が多かったがスックと直立した幹が若々しくて気持ちが良い。
塔の沢登山口からピストンした。

1998年5月23日(日帰り)(単独)
7:20-8:30寝釈迦-9:40賽の河原-11:40前袈裟丸山-12:30後袈裟丸山13:00-17:00

先週行った篭ノ登山は大展望が売りの山だったが、この山は林相や鳥の鳴き声、シャクナゲなど
山そのものが魅力的だった。おまけに避難小屋が二つもあり泊りもできる。
寝釈迦からの上の林の美しさは特筆もの。特に頂上直下のダケカンバの若木群の新緑は絶品だった。
若い為に全てが直立しており、なんかキリリとした感じで非常に好ましかったのだ。
大木の芸術的によじれた物は良く見かけるがこんなのは滅多に見られない。
賽の河原はよくあるように石の山があちこちにある小広い場所だった。
山頂近くのドーム型の避難小屋のそばにヌタ場らしきのがあったのにビックリ。
鳥の鳴き声も多くて、自然がよく残っている山だ。
シャクナゲも山頂付近は真っ盛りだったし、シロヤシオの咲き残りもあった。
降る途中で会った若くて綺麗な娘さんに避難小屋に人は居ましたかと聞かれて驚く。
まあ何と勇気のある女性なんだ。泊りの装備で無くて少し残念。
歩きの途中で皇海山、鋸岳、庚申山、日光白根山、男体山、武尊山などが見えた。
300名山狙いでなくても充分楽しめる山だ。
やっぱり5月のツツジやシャクナゲの時が最適だろう。

これで群馬周辺の山は一応終了。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お坊山東峰南稜から米沢山北稜  2010年5月15日

2010年05月16日 | 中央線沿線
久し振りにライブ版の記録。
天気が良く空気も冷たくて眺望がよさそうな昨日、K氏、Y氏と歩いてきた。
事前に結構勉強していた南稜への取り付きで間違ったりしてガックリだったが楽しい歩きだった。
打ち上げはいつもの「角屋」ではなく高尾駅北口の「あさかわ食堂」で盛りあがった。

2010年5月15日 (日帰り、K氏とY氏同行)
7:40笹子駅-10:40西峰11:50-14:50甲斐大和駅

取り付きは立派な堰堤手前の土に埋まってしまっている黒い階段から入るのだが、ちょっと先まで
行ってしまい少しロスした。
あとは鉄塔まで一本道で迷いようが無い。
フワフワの斜面なので拾った檜の枝が無かったら厄介だったろう。ストック必携ですよ。
朝はいつもの通りペースが上がらずに二人に置いて行かれる。電車の中で食べるべきだったが
あまりの人の多さに躊躇われて出来なかったのだ。
しかし6:35八王子始発の松本行きは山屋が多くて先頭車両は敬遠した方がよさそう。
立ち木と杖に援けられて何とか高度を稼ぐがなかなか富士の頭が見えてこない。
やっとでてきたら結構クリアに見えていて南アルプスが楽しみだ。頂上近くで北岳から農鳥岳が
見えたが予想通りのクリアさだ。5月にこんなに綺麗な姿を見られて時ならぬ寒気に感謝。
西峰には奥秩父から富士までの大展望が待っていた。
ニセ八つの金ケ岳と八ヶ岳の間に北アルプスも見えているが山を同定できない。
甲斐駒は殆ど雪がついていないが、北岳から南の巨峰達はしっかり雪化粧している。
店を広げてK氏持参のワインを飲んだりしてノンビリしていると、単独行が「特等席でいいですね」と
言って通り過ぎた。皮肉だったのだろうがシカトして続けた。
米沢山からの北稜の降りはY氏の読図に助けられて予測どおりの吊橋近くにドンピシャだった。
さすがのもんだ。K氏と2人なら確実に道を間違っていた。
現在地点の同定が確実にやれる事と歩く方向の正確さが無いと即道迷い遭難だ。
登りは少々道を外れても大丈夫だが降りは絶対に外せないので難しい。
登りはバリエーション、降りは一般ルートが身の丈にあった歩きだ。
今日は東峰から米沢山までの間で10人位に会っただけだった。
それから新緑が特別に素晴らしかった。瑞々しい緑が本当に目に眩しくて嬉しくなってしまった。
年とると紅葉よりも新緑が好まく感じられるのかもしれないなあ。
最後の「あさかわ食堂」はやたらとメニューが多く、売れないフォークシンガーみたいな
中年オヤジと奥さん風の女性、若い女性の3人で切り盛りしていた。
モツ煮を食べたが今までで一番の味だった。
来月から恒例のスイス行脚にでかけるK氏の話でY氏も来年は行くかもしれないことになったが
残念ながら当方は息子どもに脛を齧られるのでしっかり稼がねばならず参加不可能。
久し振りのメンバー3人の山で楽しかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

厳剛新道から谷川岳 1998年8月

2010年05月16日 | 関東周辺
最初は馬蹄形縦走をやる予定だったが、小雨とガスの為諦めて土樽へ降りた。
馬蹄形は一度はやってみたい縦走だったが今となってはちと難しいだろう。
若い時に体力の要る山を重点的にやるべきだったが、やっぱり楽しい山から片付けるのは
仕様が無いか。
登りに使った厳剛新道は沢沿いなので涼しく、眺めも良くて楽しい道だった。

1998年8月8日 (日帰り)(単独)
厳剛新道から谷川岳、茂倉岳から土樽へ

6:20マチガ沢出合-8:40ガレ沢のコル-11:00トマの耳-11:20オキの耳-
12:50一の倉岳-14:00茂倉岳14:40-15:40矢場の頭-18:00土樽駅

マチガ沢に車を置き、初めての谷川岳登山の開始だ。大岩壁群と世界一の遭難者で名を轟かしているが、
花が多くて一般ルートは楽しい山だ。
右手に少しばかり残った雪を見ながら岩っぽい道をグングンと高度を稼ぐ。
ザレていないので岩好きの山屋にとっては嬉しいルートだぜ。
丹沢なんかとは違ってスケールがでかくてウキウキするが、天気がイマイチなのがちと寂しい。
登りついた西黒尾根との合流点には3組ほどが休んでいる。
一休みして上を目指すが、「氷河の跡」は何かよくわからなかったし、「ザンゲ岩」とは何を懺悔するんだろうか。
蛇紋岩なので小雨で濡れて滑りやすい。おまけに沢山の登山者の靴でツルツルになっているのでなおさらだ。
いやに足の速いオジンに追い抜かれたと思ったら、ザックに「目指せ谷川岳2000回登頂」と貼ってある。
あの有名な森氏だったが今日で1485回目だそうだ。呆れるやら、感心するやら。
同じ山に毎日登って面白いはずがないのだが、彼にとっては食事みたいなもので楽しみでも無く、
ただの日常のひとコマなんだろう。
我々一般登山者とは次元が違うのでただケガせぬように注意して頑張ってと言うだけだ。
たどりついたトマの耳は人だらけでさっさとオキの耳へ。稜線には規模は小さいが結構な種類の花が咲いていて
楽しませてくれる。
一の倉の大岩壁が楽しみだったがガスで何も見えない。
一の倉岳へのツメでガス欠状態になってきたが茂倉岳まで頑張り食事した。
茂倉岳避難小屋はウッディーで立派。下手な営業小屋は真っ青だ。
土樽までは長かった。途中の檜の廊下は根が邪魔で歩きにくかった。
最後の車の回収を入れると11時間の歩きだった。

花の記録

ヒメシャジン ガクアジサイ ジョウシュウオニアザミ シモツケソウニガナ ミヤマシシウド 
オヤマノリンドウ タテヤマウツボグサ ウメバチソウ ハクサンフウロ トリカブト シブツアサツキ
ツリガネニンジン ミヤマシャジン ミヤマオダマキ オオカサモチ 

もっといろいろとあった筈だが勉強不足だったのだろう。
谷川岳は他のコースも歩くつもりだったが、やる山が目白押しだったので結局この1回きりだった。
西黒尾根から平標への縦走なんて面白そうなんだがなあ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする