ブログ「安心院の里」

退職後は、国内・海外旅行、スポーツクラブ、家庭菜園、登山など自由気ままに我が人生謳歌中です!(健康で元気なうちに・・・)

クラクフ旧市街地No2

2014年06月30日 06時45分54秒 | 海外旅行
【中央市場広場】
クラクフ旧市街の中心にある200m四方の広場で旧市庁舎、聖マリア教会など歴史的な建物が建ち並び、中世の雰囲気が漂います。「広場に立つポーランドの国民的詩人アダム・ミツキエヴィッチ像」
広場にはオープンテラスのカフェや花屋、自分の描いた絵を売る人、観光馬車、パフォーなどを含め、多国籍の観光客で賑わっています。広場には、クラクフ滞在中に三回(早朝・お昼・ライトアップ)足を運び、時間帯ごと変化する広場の表情や雰囲気を体験しました。
【織物会館】
中央にルネッサンス様式の織物会館があります。会館の1階は通路を挟んで両側にはお土産屋が軒を並べ、観光客で賑わっています。二階テラス席にて 広場を見下ろしながら優雅に“お茶"しました。
【聖マリア教会】
ポーランドを代表するゴシック様式の教会で、国宝の聖壇が実に素晴らしく驚嘆します。1241年のタタール人襲撃の逸話を象徴して、この教会の塔の上で、1時間毎に窓が開き、ラッパの吹奏が時を告げます。喧騒の広場でもラッパの吹奏音を聞け、旅行者の人気を呼んでいます。
【旧庁舎の塔】
旧庁舎の塔は、キツイ螺旋階段を登ると時計装置のある室に展望窓口があります。ここからクラクフ市街が展望できます。塔内の二つ資料室には、当時の写真、絵画や資料が展示されています。

クラクフ旧市街地区No1・晴れ( 2014. 6/18)

2014年06月30日 06時40分06秒 | 海外旅行
~ポーランドの古都~
11世紀から17世紀、ワルシャワに遷都されるまで600年間、ポーランド王国の都として繁栄した美しい街です。戦災を免れた街並みは中世そのままで、首ポーランドの人気NO.1観光地です。
【列車移動】
「発」ヴロツワフWroclaw08:27
「着」クラクフKrakow Gtowny13:35
普通列車に揺られること約5時間のノンビリ旅、車窓から新緑眩しいポーランドの平原を楽しみながら。しかし、ポーランド人は牛みたいに何かしら食べている・・小錦みたいに肥満体がゴロゴロ。今日の列車のトイレは、未だ線路上にタレ流し。【クラクフ本駅】
駅は近代的な巨大なショッピングセンター内にあります。 ワルシャワ駅よりも賑やかで乗客、買い物客で大変な賑わいです。「旧クラクフ本駅」の建物は当時のまま保存されています。旧クラクフ駅
【宿泊ホテル】
宿泊ホテル「ライコ アパートメンツ」は、駅から徒歩で3~5分に位置にあります。大通りに面した大きな店舗併用4階建てアパート裏庭にある平屋で、大変使いやすく3連泊しました。新しい綺麗な1DK、静かな場所にあり、主要な観光スポットにも近く、何処に行くにも大変便利です。
【マテイキ広場】
バルバカンの前に位置し、旧市街を観光する日本人ツアーバスも待機しています。今回利用した「岩塩坑や強制収容用所」現地ツアーも、ここが発着場になっています。【バルバカンとフロリアンスカ門】
フロリアンスカ門を守るために建てられた円形の砦が、バルバカンで城壁の一部が残っています。フロリアンスカ門をくぐると右側には、自作の絵を売る人の姿が見られます。【チャルトリスキ美術館】
1801年にオープンしたポーランド最古といわれる美術館です。「フロリアンスカ通り」
マリア教会まで真っ直ぐに伸びるメイン通りが「フロリアンスカ通り」で、レストランやお土産屋が軒を並べ、多くの観光客で賑わっています。


ポーランドのマーケットを覗いて見た!

2014年06月30日 05時45分15秒 | 海外旅行
海外旅行の際は、必ず旅行先のマーケットに立ち寄って見学する。今回はクラクフのマーケット「スタリ・クレバシュ」を覗いて見た。12世紀に開かれた歴史ある屋外食品市場です。そこには野菜や肉などの食料品から衣料品、香辛料などありとあらゆる日用品のお店がぎっしりと並んでいます。

地元の人がたくさん買い物をしており、ポーランドの人々の暮らしが垣間みれます。本当に地元の人たちのためのローカル市場といった雰囲気でとても興味深いです。



ヤヴォル平和教会

2014年06月30日 02時59分05秒 | 海外旅行
【移動】
シフィドニツァ平和教会の見学を終え、次は、ヤヴォル平和教会です。
バス停は、旧市街から10分程歩いた公園沿い道路上にありましたが、観光客にチョッと分かりづらい場所です。バス発着場所運転手さん、腹ごしらえしてから出発です。
12:20Swidnika(発)のミニ路線バスで、のどかな草原の小さな集落を回りながら、交通閑静な農道をノンストップで走ること約1時間でヤヴォル平和教会のある村に到着しました。
【ヤヴォル平和教会】
入館した日本人は我が夫婦のみでしたが、日本人観光客が多い??
「日本語」による説明をスピーカーで流してくれるサービスがありました。
外見は倉庫のような地味で質素な形をしておりますが、館内は外見と違い、全て油彩されています。収容人員数は、6000人以上とか。見学時、祭壇は補修工事中でした。
教会内部をぐるりと取り囲むバルコニーが高さ16mの天井まで積み重なって、豪華絢爛の劇場のようです。欄干には143もの聖書の場面が描かれています。
【旧市街】
聖マルチン教会旧市街広場付近
ティータイム
【帰り】
世界遺産の平和教会の見学を終え、ヤヴォル14:45(発)=ミニ路線バス=ブロツワク16:00(着)

30年戦争がもたらした平和・シフィドニツァ平和教会 晴れ(2014.6/17)

2014年06月29日 22時09分49秒 | 海外旅行
【朝食】
朝食は7:30からダイニングルームでビュッフェ式朝食です。
【バス移動】
ブロツワク本駅から徒歩5分の所にミニ路線バスの発着場があります。バスは08:45発車し、間もなく街の中心部から離れ、見渡す限りの麦畑が続く田園地帯を走り続けます。点在する小さな村を経由して約1時間でシフィドニツァの平和教会へ(終点)到着しました。
【時代背景】
17世紀に建造された木造教会群です。
同じキリスト教徒でも新しい宗教のあり方を支持したプロテスタントと旧来のあり方を推したカトリック教徒の間には長い間軋轢や争いが絶えなく、ヤヴォルの平和教会はこの地で優勢を握ったカトリック教徒の下、限られた条件下でプロテタントが築いた教会です。戦争に転用できないよう、弱い建材だけで作られながら完璧な設計と強い信仰に支えられて現在にも堂々とした姿を見せています。それもたった1年で、釘も使わず、数千人も入れる教会だそうです。
【シフィドニツァ平和教会】
私達が到着すると同時に管理人のオジサンが開館してくれた。手渡された日本語の説明文を見ながら館内を見学。
木造建築としては、ヨーロッパ最大の7000人収用できます。
平和教会の上部は、天井を埋め尽くすように描かれた宗教画が圧巻で中央の絵は父、子、聖霊の三位一体を表しています。
豪華絢爛な教会内部の様子【旧市街】
聖スタニスワフ・ヴァツワフ大聖堂旧市街広場付近





ブロツワフNo4

2014年06月29日 13時00分18秒 | 海外旅行
【街角で見つけた悲壮感漂う銅像】
ブロツワクの街を散策中、大通り交差点片隅で人物銅像群を見つけた。ヒットラーのユダヤ民族抹殺計画によって、強制収容所に送り込まれる悲壮感漂う市民の姿の銅像です。銅像の一部には、地面に埋め込まれた身体の一部・・その市民の人生の終焉を表している。ナチス・ドイツから迫害を受けたポーランドの悲しい歴史の過去が、垣間見られるひとコマです。
【ユーモラスな妖精小人たち】
観光中に出会う素敵な小人たち!
旧市場広場近辺などあちこちに小さな妖精たちのオブジェが・・・通りの片隅などに、ちょこんと置かれた小人の像に出会います。その数は200体以上。共産党の独裁体制に反対する地下組織の抵抗運動の象徴としてブロツワフの小人の落書きが流行したのが始まりという。二日間街を歩きながら、妖精小人たちをスマホでパチリ!



ブロツワフNo3

2014年06月29日 12時26分10秒 | 海外旅行
旧市場広場から通りを北方へ進むと、数百メートル後オドラ川が見える。オドラ川に架かる赤い橋を渡りながら右方向の南岸沿いを見ると、色々な教会と町の大学などが並んでいます。
【砂上の聖処女教会】

【ヴロツワフ橋】
ヴロツワフには117の橋があります。 Tumski橋は“恋人たちの橋”とよく言われています。 理由はカップルが橋の欄干にパドロックを掛けるからだそうです。
【洗礼者ヨハネ大聖堂】
ヴロツワフの街歩き中にひときわ目立つ大きな教会です。2つの塔がシンボルの教会です。中欧の教会という風格があり、きらびやかさはあまり無いです。しかし、第二次大戦で破壊されましたが、地元の人達によって復興されました。
【聖エルジュベタ教会】

【旧市街の路地の楽しい彫像たち】

【ヴロツワフにてディナー(6/16)】
ホテルに併設したシロンスク地方の農家を模した内装の人気レストラン「カルツマ・ムウィンスカ」にて、
名物料理・グヤーシュは、パプリカをたっぷりつかったハンガリーのシチューでポーランドでも定番料理です。
ジューレックは、ポーランドを代表するスープ。発酵ライ麦を使い少し酸味があり、具にはゆで卵が入っています。

【ヴロツワフにてディナー(6/17)】
ヤヴォル平和教会見学を終え、一旦ホテルで休憩後の午後5時過ぎに、再び旧市街広場に出かけた。ディナーは、ヴロツワフ大学近くにあるシロンスク地方の郷土料理を提供する人気レストラン「クールナ・ハタ」にて(地球の歩き方ガイドブック推薦)
シロンスク地方の郷土料理です。ボリュームたっぷり、美味しくいただく。バルシチは、根菜ビーツの赤色も鮮やかなポーランドスープ。大きなピエロギが2個入っていました。ビールも濃くあり、旨かったよ!

ヴロツワフNo2

2014年06月29日 08時27分40秒 | 海外旅行
「塩の広場」には、大きな波を想像させる紋様が描かれ、広場を囲む建物もまたカラフルです。
「ヤシとマウゴーシャ」というのは、ポーランド語でグリム兄弟の「ヘンゼルとグレーテル」を指す呼び名です。向かって左にあるゴシック・ルネサンス様式の小さい方が「ヤシ」と呼ばれ、バロック様式のマウゴーシャは右側の大きな方になります。ふたつの建物の間には、18世紀になってあたかも仲良く手をつないでいるかのように取り付けられたアーチがあります。「ヤシとマウゴーシャ」の背後にある「聖エルジュビェタ教会」の急な螺せん階段(200段?)をひたすら上を目指して登ります。足膝ガクガク!息ハァーハァー!苦労して登った甲斐あり、展望台からヴロツワフの街が360度の見渡せる大パノラマが広がります。高所恐怖症の方は無理かも・・・
塔からはヴロツワフの近郊まで広く見渡すことができます。塔の展望台からの一望です!





ヴロツワフNo1 晴(2014.6/17)

2014年06月29日 06時57分15秒 | 海外旅行
~ユーモラスな妖精小人たちのお出迎え~
ポーランド西南部に位置する古くから交易、金融業の盛んな都市として知られ、街はオドラ川の中洲から南に発展して行った12の島と100本以上の橋を持つ水の都です。最も古いエリアはオストルフ・トゥムスキという大聖堂が建つ地区です。6世紀にはスラブ人の集落ができ、13世紀にはモンゴル人、14世紀にはボヘミア王国に支配されその後神聖ローマ帝国に組み込まれ、1945年までドイツの一部だったそうです。
【朝食】
グダンスク駅「マック」でサンドイッチ&コーヒーを購入、アプリコット、ヨーグルトと合わせた朝食をとる。
【列車移動】E/IC列車(ドイツ・ベルリン行)
07:17(発)グダンクス駅→10:27(着)ボスナン駅(乗換え)→10:31(発)ボスナン駅
13:05(着)→ヴロツワフ本駅
ポーランド国内を北から南に向かって長時間の列車移動の旅(約6時間)です。今日は、久し振りに朝から好天に恵まれ、青空のもと列車は、どこまでも続く豊かな草原の中を走り続けます。時折、のんびり牧草を食べる放牧牛の姿を見かけます。【ボスナン駅・乗継】
乗り継ぎ時間は僅か4分・・・走った!走った!重いバックを引きずりながら地下通路階段登り降り!間に合った、良かった!神業だ!乗継列車は綺麗なIC、何とコーヒー&ウェハースの無料サービスがあったよ\(^-^)/【ヴロツワフ本駅】
古きよき時代のヨーロッパを思わせる中央駅。堅牢な城壁に囲まれたような印象を受ける駅の構内は映画にも度々登場するだけあり、実に見事です。第3ホームには、出発する電車に飛び移るシーンの撮影中に亡くなった映画俳優ツィブルスキを偲んで建てられた記念碑があります。【宿泊ホテル】
宿泊する「Hotel Sofia」は中央市場広場から1.5km、ヴロツワフ本駅の向かいに位置する3つ星ホテルです。部屋は広く清潔、ドライヤーあり、無料のミネラルウォーターとポットもありました。【旧市街広場】
いろいろな国と文化の影響を受けたことで、ヴロツワフにはここだけしか出会うことができないコスモポリタンな文化遺産が数多く残っています
昔から市民の生活の中心となってきたのがこの広場。中央にあるのは、ゴシックとルネサンスの美の調和がみごとな旧市庁舎です。







マルボルク城No3

2014年06月28日 21時44分58秒 | 海外旅行
当時の調理場が再現されています。
総長のベッドは小さかった。大食堂には、200人以上収容する最も大きな部屋です。聖母マリア教会は、城の主要教会で第二次世界対戦での被害が痛々しいです。
3F展示室には、礼拝堂に飾られていた像や祭壇画が展示されています。
武器と防具の展示室には、当時の武器、防具類を展示してあるほか、グルンヴァルトの戦いに関する展示もありました。中庭の庭園


聖アンナ教会に眠る騎士団長らの墓です。木橋を渡ってヴィスワ川の対岸から見るマルボルク城&ヴィスワ川側城壁