ブログ「安心院の里」

退職後は、国内・海外旅行、スポーツクラブ、家庭菜園、登山など自由気ままに我が人生謳歌中です!(健康で元気なうちに・・・)

グダンスクNO1曇り(2014.6/14)

2014年06月27日 22時41分14秒 | 海外旅行
~バルト海に輝く琥珀の都~
ポーランドで最大の港を持つ「海の玄関口」、日本でも知名度の高いワレサ議長に率いられ、自由民主化の旗揚げをした歴史的都市でもあり、今もなおホットな海の観光地として多くの訪問客を魅了しています。グダンスクの美しい旧市街も、ワルシャワと同じく、第二次世界大戦中は徹底的に破壊され、市民の努力によって復元されたもので、赤い屋根と白い壁のコントラストは、懐かしい中世の時代を思い起こさせます。
【朝食】
ワルシャワの朝は曇り空、気温は20℃と寒い、寒暖の差が大きい。(11日は28℃) 宿泊ホテルで朝食時に初めて日本人ツアー(北海道)と一緒になる。今日もスタミナ源を充分補給して、行動開始!
【移動】「IC列車」
07:45ホテル→08:15地下Centrum→09:24(発)ワルシャワ・グダンスク駅を出発した列車で約4時間半“世界の車窓から"気分です。どこまでも続くポーランドの平原、そよ風に揺れる緑色一面の穀倉風景を満喫。
【途中にハプニング発生!】
■マルボルク駅で前の列車が故障のため、40分待機(涙・・)
■マルボルク駅で乗客を残して発車したため、更にTCZEW駅で再待機(涙・・)
乗客はタクシーで追い掛けて来たとか?・・隣席の若者が説明してくれる!
~なんと間抜けなポーランド人~
お陰でグダンクス本駅には、予定より約1時間20分遅れの午後3時15分に到着した。
待機中の駅にて

【グダンスク本駅】
屋根の天辺に国章の鷲のブロンズ像が飾られ、その下にも王冠をかぶった鷲のレリーフが威厳を示しています。
【宿泊ホテル連泊】
Grand- Tourist Center PointApartments という食事なしの自炊出来るホテル。探し当てるのに分かりづらない場所にあり、4人の通行人に聞きまくる。5階建てマンション4階の部屋をホテル形式に改造したもの、意外と使いやすい。グダンスク中央駅が目の前に見えます。【王の道】
グダンスク中央駅から、歩けば10分ほどで中世貴族の富を象徴する館が軒を連ねる旧市街に着きます。ここは、かつては国王の凱旋パレ行われたメインストリート「ドゥーガ通り」。長さが500mもあるめずらしい街路型の広場なのです。
【高い門】
16世紀には城壁があり、その門の外側には幅50メートルの濠がありました。現在はグダンスク旧市街への入り口となっており、門の上には獅子などの彫刻とともに中央のポーランド紋章や右側のグダンスク市の紋章が残っています。
【囚人塔】
旧市街地入り口の高い門を抜けたところにあります。街の防衛のために建てられましたが、17世紀初頭に牢屋になりました。現在は琥珀博物館になっています。






ショパンの生家を訪ねた!

2014年06月27日 15時03分43秒 | 海外旅行
「普通列車移動」
14:20(発)トルン駅→16:30(着)ソハチェフ駅

【ソハチェフ駅】
寂しい田舎街の小さな駅舎、普通列車の停車場となっています。ロータリー内にバスの発着場があります。
バス「6番」で生地・ジェラゾヴァ・ヴォラまで約30分。バスがショパン博物館に到着した頃には雨も上がり、晴れ間が一部のぞき始める。
午後5時過ぎ入館、観光客は我が夫婦のみ、日本から来た二人を歓迎?? 急に大きな園内にショパンの曲が流れ始めた。
「ショパンの生家」
生家といっても、ショパンが産まれて僅か半年後には一家でワルシャワに引っ越しているので、ほとんど産まれただけという場所です。
生家はポプラ並木の続く公園内にあり、現在は博物館になっています。
手紙や出生証明書などゆかりの品が展示されています。
「公園内」
池や川に架かる橋など綺麗に整備された造園には種々な花が植栽されています。日本から贈られたサクラは、生家近くに植えられているとか。
【帰り】
バス(乗車客わずか)18:28→ソハチェフ駅19:32→普通列車(各駅停車、節電?車内薄暗い)→21:40ワルシャワ中央駅
【夕食】
宿泊ホテルのレストランにて
コトレット(ポーランド風カツレツ)
ジューレック(発酵ライ麦を使う少し酸味があるスープ、具はソーセージとゆで卵)


中世都市トルンNO2

2014年06月27日 13時33分13秒 | 海外旅行
【聖霊教会】
鐘楼は1756年建造の聖霊教会、右側のレンガ色の建物はネオゴシック様式の郵便局です。
教会内部
「東洋博物館(星の館)】
15世紀頃の商人の家。『星の下の家』、『星の館』などという言い方もされ現在は『東洋博物館』として利用されています。
【トルン名物】
トルンといえば、名菓ピェルニク。
この町の名物であるピェルニックは、ポーランドで有名なお菓子です。
甘さの中にナツメグやシナモンなどの風味が織りこまれた大人の味は今でも中世からの伝統的な製法で作られています。お土産として購入しました。
【ポンチキ】
ポーランド風揚げドーナツでトルンの町のパン屋さんで買って食べてみたが名物にウマイものなし・・・特に“うまい"とは思わない。

中世都市トルンNo1 曇り時々小雨 (2014.6/13)

2014年06月27日 12時51分18秒 | 海外旅行
~中世の薫り漂う町~
ポーランドを縦断するヴィスワ川沿いに佇むトルンは、中世の姿をそのまま残す町です。川には港があり、14世紀から貿易の重要な中継地として大いに繁栄し、町は富んで活気に溢れ、中世の街並みが残る世界遺産都市。コペルニクスの生家もここに。
【朝食】
昨日とほぼ同じメニュー、スタミナを充分に補給し!パワー全開・・元気にスタートダッシュ!
【列車移動】
09:00(発)ワルシャワ中央駅
11:53(着)トルン中央駅
車窓からはどこまでも続く穀倉地帯と草原が見えます。
「列車」
「車窓から」
トルン中央駅に到着した頃には、あいにく小雨が降り始めました。バスで旧市街地に向かいます。
「街の中心シェロカ通り」
土産物、骨董品等の露店が通り上に軒を並べています。

【旧市庁舎とコペルニクス像】
旧市街の中心にある市庁舎とその周りの商人たちの石造りの住宅は、ゴシック又はルネサンス様式で、トルンの栄光の時代を偲ばせます。
通りの交差点角には“ロバの銅像"が
「恥のロバ」とも呼んでいます。
罪人をこのロバに跨らせ足首に重石をつけてさらし者にしたようです。
【コペルニスクの生家】
旧市街広場南側のコペルニカ通りに、地動説を唱えたコペルニクスの生家があります。14世紀中旬建てられたハンザ同盟都市独特の様式で現在は博物館として公開されています。
各部屋には、コペルニクスが実際に使ったコンパスや地球儀など、数々の用具が展示されています。
【聖母マリア被昇天教会 】
旧市街広場の北西にある聖母マリア被昇天教会は、荘厳なゴシック様式の教会です。
27メートルの高さを持つこの教会の天井は、見事な星模様で飾られています。
高い天井から降り注ぐステンドグラスの明かりが綺麗。




ワルシャワ歴史地区No3

2014年06月27日 00時44分57秒 | 海外旅行
【コペルニクス像】
国立科学アカデミーの敷地に、地動説を唱えたコペルニクスの像があります。長髪のコペルニクスが台座に腰掛け、左手に天球儀を持ったポーズ。像の前の敷石には太陽と地球の位置関係を示したモザイク画も描かれていました。見学時にこの台座を“寝ぐら"にしていたジプシーが警察官に排除?されていましたよ。
【キュリー夫人博物館】
夫とともに放射性物質を研究し、二度のノーベル賞を受賞した物理学・化学者のキュリー夫人の生家です。内部は博物館になっており、家具調度の他に彼女の使っていた実験器具や研究資料などが展示されています。イベントで来館していたポーランド娘と記念写真を撮る。
【文化科学宮殿】
スターリンの贈り物。高さ237メートル、42階のポーランドで一番高い建物だそうで社会主義時代の遺産です。ワルシャワ市民には「墓石」と呼ばれて評判が悪いようですが・・・そんな文化科学宮殿も夜はライトアップされ綺麗でした。宿泊ホテルの目の前で聳える姿は目立ちます。
【ユニークなワルシャワ大学図書館】
館内には本屋、カフェ、ゲームセンター、ボーリング場、レストラン、キッズ・スペースと、図書館というよりは娯楽複合施設といった感じで、建物自体もガラスを多用したモダンなデザインで、図書館とは思えません。
建物の横と屋上に造られた美しい庭園です。総面積1ヘクタールにも及ぶ庭園は、屋上庭園としてはヨーロッパ最大。園内には小川が流れ、緑が生い茂り、一幅の絵画を見てるかのような素晴らしい眺めです。
【観光馬車】
観光馬車が石畳を蹴り、パカパカと心地よいひずめの音を響かせて通り過ぎて行きました。ワルシャワには歴史地区を回る観光馬車が大繁盛。あちこちで見かけます。
【地下鉄Centrum駅の行商風景】
【チャリカフェ 】
NAROWERZE CAFE(自転車カフェ)です。アラビカ種100%の入れたてコーヒーです。賑やかな場所で見かけます。

ワルシャワ歴史地区No2

2014年06月27日 00時15分57秒 | 海外旅行
~ショパンゆかりのスポット巡り~
クラクフ郊外通りは、ショパンのゆかりの地が目白押しです。
【聖十字架教会】
バロック様式の教会らしく、内部は金ぴかの像が光彩を放ち、立派なパイプオルガンもあります。ショパンがパリで死去後に、望郷の思いで残した遺言によって彼の心臓がここに埋葬されていることで有名です。
第二次大戦でドイツ軍に破壊されて心臓も持ち去られましたが、戦後再建されて心臓はショパンの命日に戻されました。ショパンの心臓が納められているという柱です。それは祭壇に向かって左側の柱。ショパンの肖像の下に銘板が嵌め込まれています。
 
【ショパン博物館】
17世紀に建造されたバロック様式の「オストロフスキ宮殿 」で、現在ワルシャワ・ショパン協会の本部が置かれています。
「ショパン家サロン」
旧クラシンスキ宮殿の建物を今は美術アカデミーとして利用されており、3階奥の突き当りにショパンが一時期 住んでいたといわれるサロンがあります。サロンの中にあるピアノとファーで 当時の様子が復元されています。運よく水曜日は見学したため、料金は無料とのこと、入室するとオバサンがショパンの曲を流してくれます。
「ワルシャワ大学」
ショパンが学んだ大学です。
「ヴィジトキ教会」
ショパンが学生の時に日曜ミサでパイプオルガンを弾いた教会です。
「ショパンの調べのベンチ」
クラクフ郊外通りに15カ所置かれ解説文が刻まれいます。ボタンを押すとショパンの曲が流れてきます。
「カフェ・テリメナ」
ショパンが頻繁に通ったカフェ。