東アジア歴史文化研究会

日本人の素晴らしい伝統と文化を再発見しよう
歴史の書き換えはすでに始まっている

渡辺惣樹v福井義高『東大教授に書けない! 腹黒い近現代史』(ビジネス社) 世界同時史を比較して、近現代史の奇怪な謎を解く 意外にも通説は平凡すぎて、もっと深い闇が歴史にはある

2024-08-12 | 世界のヤバイ勢力

本書をかかえて散歩に出た。江戸川橋を音羽方面に向かい、最初の角を左折すると、かなりきつい坂が丘の上までつづく。正八幡神社、三つの由緒ある寺々を過ぎ、関台小学校を越えると、右前方に東京カテドラル教会。左手に拡がるのが椿山荘だ。

その先、造園と野間美術館を過ぎると、村上春樹や北岡伸一がいた和敬塾の奥行きの広地敷地。それからまだ先が「天下の闇将軍」だった田中角栄邸である。

この一帯は明治維新後、誰が所有していましたか?(このクイズのヒントは最後に)

さて本書は歴史の基軸を日本だけにとどめず同時進行の世界史との脈絡のなかで、歴史的人物や事件を裁断する。

博覧強記のふたりが世界史からみる日本の近現代を、別のアングルから照射する試みである。歴史好きな読者には知的スリルがある。

幕末維新の時代から大恐慌の時代まで、列強(英米とロシア、独)のズルたちに翻弄され続けた日本をざっくりと解剖したら、えっと驚く事実がぽんぽんと飛びだした。

読み始めてまず一番の興味は伊藤博文暗殺犯のことだ。

紙幅の関係から、此の拙評は、伊藤博文暗殺事件だけに絞る。

はるばる満州の奥の哈爾浜へ伊藤は何を目的に行ったのか。ロシア大蔵大臣が待っていた。東清鉄道の買収案件で、大きな影響力をもっていたのは伊藤だった。当時の哈爾浜はロシア人の町だった。

伊藤博文暗殺の謎を追った人は何人もいるが、犯人は韓国人テロリスト安重根だけでなかったことは確かである。複数の朝鮮人からなる暗殺チームが居た。

安重根が哈爾浜駅のプラットフォームで群衆を掻き分け、下から撃った弾丸は伊藤をそれた。というより安重根は伊藤の顔を知らず、となりの長身の人物を狙った。

致命傷は背後から撃たれた弾丸だった。裏手のレストランの二階からの狙撃は騎手銃とされた。

安重根は裁判で一人だけの犯行としてほかに数人の仲間を庇った。

まさに「疑惑の銃弾」だった。 哈爾浜の旅にでかけた評者(宮崎)は暗殺現場にも数回撮影にいったが、現場に立っていた碑を背景に写真も撮ったのだが、その後、大連から哈爾浜へ中国新幹線が繋がって、駅舎が建て替えられ、伊藤博文遭遇の地という碑は撤去された。

当局は、この暗殺事件を安重根だけを犯人に仕立てた。これって、まるでJFK暗殺にまとわりついた疑惑のデパートに酷似する。

さて本書で渡辺、藤井の二人は当時の世界情勢と列強のバランスから事件の謎に迫る。類書とまったく異なるグローバルな見方である。

犯人がロシアでないことは確かだろうとするが、渡辺のドイツ説に対して福井はイギリス説も捨てきれないと言っている。この詳細を書いたら本が売れなくなることを慮って、詳細は本書にあたられたし。

伊藤暗殺を決意した安重根はインテリで達筆家だった。彼は両班出身で、この朝鮮の伝統的身分制度を壊した伊藤に格別の恨みを抱いたことは事実である。取り調べの記録から、安重根がウラジオストクをアジトにして、誰と何処で合い、誰と接触し、誰が資金を、そしてピストルをどのルートから手に入れたかなどは判別されている。また日本人の協力者がいたことも判明している。

伊藤暗殺はロシアにはメリットにならない。ドイツ、英国にはそれぞれの思惑があったのだろう。

だが国内に視点を移せば、当時の国内政局は流動的で、伊藤暗殺で、誰がもっともメリットを享受したか?

犯人ではないにせよ、政治は結果論である。若し「黒幕」が想定するとすれば伊藤暗殺で裨益した政治家は誰? 椿山荘を、あの庭園を設計した人は誰だったか?

西南戦争で城山まで西郷軍を追い詰め、号泣しつつも、西郷軍に最後の砲撃を指揮した軍人は?


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