歴声庵

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八十里峠 第二回

2007年09月03日 22時14分01秒 | 雑記
 お世話になっている越の山路様にて八十里峠の記事の第二回がアップされました、この八十里峠は弊サイトでも記事を書かせて頂いてる北越戦争の際、新政府軍に敗れた同盟軍(主に長岡藩)が逃走路に使った街道です。前回の第一回では八十里峠の入り口である吉ヶ平の紹介で終わりましたので、今回の二回はそれ以降の会津へと向かう八十里峠の現在の姿を紹介して下さっています。北越戦争当時とは若干道が変わっているみたいですけど、難解な山道というのは伝わってきましたので、興味深く読ませて頂きました。中でも藩主家族の動向などは、北越戦争の動向とは直接関係ないので知らなかったので興味深く読ませて頂きました。
 また越の山路様の記事を読んで意外だったのは、八十里峠を新政府軍が侵攻してくるのを阻止する為に山本帯刀が残存部隊を率いて、鞍掛峠に布陣したのは知っていましたけど、未だに鞍掛峠では当時の戦闘で使われた弾丸が見つかるほどの激戦が行なわれたというのは知りませんでした。正直この鞍掛峠の戦いは、新政府軍の栃尾方面軍の斥候隊と、山本隊との間で行なわれた小規模な戦闘だったと思い込んでいましたので、未だに当時の戦いで使われた弾丸が見つかるような激戦だったというのは本当に驚きました。
 それにしても越の山路様の八十里峠の記事を読んで、この八十里峠の戦いを調べてみたいなとも思いました。ただ北越戦争でまだ記事を書いていない戦いと言えば、福田侠平が率いた村上・庄内方面軍の戦いを書いてみたい気もするんですよね。