歴声庵

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丸山真男著 「日本の思想」

2007年09月06日 21時18分45秒 | 読書

 『歴史とは何か』『歴史学ってなんだ?』に続いて、歴史を学ぶのに当たって哲学や思想を学ばなくてはと言う訳で購読しました。ただ前回購読した『歴史学ってなんだ?』があまりにも大ハズレだったので、今回は敢えて思想界の重鎮の著書を購入しました。しかしこれが裏目に出て、思想界の重鎮の書くあまりにも深い内容は、無学の私の頭では中々理解出来ず、読み終えるのに非常に時間が掛かりました。
 特に第二章の「近代日本の思想と文学」に関しては、最初から最後までチンプンカンプンで全く理解出来ませんでした。思想だけでも理解するのに大変なのに、自分と最も縁遠いと思う文学等と話を絡められては、読むだけで精一杯で内容を理解する事は出来ませんでした。ただ一つ読んでいて驚いたのは、戦前及び戦後直後の文学界というのは政界と真剣に相対していたんですね、可否は別として昔の文学界というのは、今と違って骨が有ったのだなと感心しました。
 前述の難解な二章に比べると多小は楽だったものの、一章もかなり難解な文章でしたね。しかし一方で読み応えのある内容だとも感じました。「日本の思想」と言う本書のタイトルと同じ表題をつけられている一章が一番筆者のメッセージが込められていると感じ、内容も鋭い所を突いていると感じました。日本の無責任体質の要因を、支配権の根拠を天皇制に置き、その国体を神聖不可侵な存在としたため、物事の責任を誰も取らない体質となり、この体質を上層部だけでなく、村社会という一般層まで倣ってしまった為、結果的に日本全体が無責任の社会になったという筆者の説は、左派思想の重鎮でなければ主張出来ない勇気ある主張だと喝采を送りたい気分になりました。
 この様に一章と二章がイデオロギー要素の強い内容だったのに対し、三章と四章は一般向けの判りやすい内容でした。『ササラ型とタコツボ型』と『「である」ことと『する』こと」という言葉は無学の私でも知っていましたけど、実際にその文章を読んでみると考えさせられる物ばかりでした。特に興味深いなと思ったのは、『ササラ型とタコツボ型』の説明で、日本はどの学問も専門化して、個々の学問同士の繋がりが無いタコツボ型なのに対して、欧州は各学問が根底では一つになっているササラ型で、その根底となり各学問を繋げているのが哲学だという説明は、哲学など暇人がやる事と少し前まで思っていた私にとっては衝撃的なものでした。この文を読んで、普段お世話になっている方達が何故、「歴史を学ぶなら哲学を学ばないといけない」とアドバイスしてくれたのか判った気がします。

 ところで本書の感想ではありませんが、本書を読んでいて筆者が自分達の事を知識層と呼称しているのが気になりました。確かに筆者の功績を考えれば、この呼称は決して不自然ではないと思います。しかしそれが全ての原因ではないにしろ、筆者を代表とする左派知識層に対する嫉妬と反発が、現在の若年層の右傾化が進んでいる一因になっているのではないでしょうか。