歴声庵

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江藤新平逃走の是非

2007年09月09日 22時20分35秒 | 戊辰戦争・幕末維新史

 先日知人の方々と話をしている際、ふと江藤新平の話になり、その中で佐賀の乱における江藤の逃亡に話が及ぶと、「男らしくない」と否定的な意見が多かったのに驚きました。何故かと言いますと、佐賀の乱で敗北した際に、自決せずに捲土重来を謀り逃亡した事こそ、私が江藤を支持する最大の理由だからです。

 今夏コミの幕末ヤ撃団様の新刊で、薩摩藩の気質について「寡黙で、何か道を誤ったら黙って腹を切る」のが美徳とされていたと説明がありました。このような薩摩藩の気質を好んでいる方からすれば、議論好きで腹を切る時(佐賀の乱の敗北が決まった時)に逃亡した江藤の事を、卑怯者と好ましく思わないのは当然かもしれません。
 しかし納得出来ない事があったら議論すべきと思う私にとっては、「寡黙で、責任を取る時は黙って腹を切る」という薩摩の気質は、正直信じられないものです。そして自己主張はすべきという考えの私としては、議論好きといわれる長州に輪を掛けて議論好きの佐賀、その中でもずば抜けて理屈っぽいと言われる江藤の気質が好ましく写るのです。
 何より冒頭に書いた通り、江藤が佐賀の乱で敗北した際に捲土重来を謀って逃亡した事こそが、私にとって江藤を支持する最大の理由です。反乱を起こしたからには、勝利を得るまで最後まで戦い抜くのが反乱指導者の責任と私は思っています。そしてその考えからすれば、再起を計って各地を転々とした江藤は反乱首謀者(江藤が本当の意味で佐賀の乱の首謀者だったかというのは別の話として)としての責任を全うしたと思うのです。
 どうも日本では敗れたら自決する事が美徳という考えがあるかと思います、しかし暴言かもしれませんが、私としては自決するくらいなら降伏して生き長らえた方がマシだとすら思っています。死んでしまったら得られるのは名誉だけで、実利的な物は何も得られません。日本的な美意識には反しますが、死んで名誉を得るよりも、生きて実利的な物を得る方が大事だと私は考えています。そしてどんな名誉のある立派な死よりも、どんなに惨めで情けないとしても生の方が私は価値があると考えるのです。
 このような考えから、佐賀の乱で敗北した際に江藤が逃亡したのは、確かに卑怯な行為だったのかもしれません。しかし江藤は名誉と言う観念的なものよりも、実利的なもの(再起して次こそ新政府を倒す)を選んで、それを得る為に逃亡したのではないかと私は解釈しています。

 以上のように今回は江藤新平逃走の是非について書かせて頂きました。今回面白いと感じたのは江藤に批判的な方も江藤支持の私も、江藤が行なった行為に関しての認識は同じで、それに対しその人が持つ価値観によって好意的に感じたり、批判的に感じたりするというのを改めて実感しました。注意はしているつもりなものの、どうしても一人で歴史を学んでいると視野が狭くなってしまいますので、このように自分と価値観の違う人の意見を聞くのは勉強になり、そして楽しい事だというのを今回の件を通じて改めて実感した次第です。


 今回の雑記は試験的に短文形式で、本文を序論・本論・結論の三部構成で書いてみました。目下試行錯誤中なので、読みづらい面があるかと思います。しかし読みやすい文を書けるようになるため努力していますので、これからも弊ブログにお付き合い頂ければ幸いに思います。