歴声庵

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今村仁司著 「マルクス入門」

2007年09月14日 22時28分57秒 | 読書
 歴史を勉強するに当たって、「マルクス史観」を学んでおかなくてはとは常々思っていました。しかし無学の身にはマルクスは難しいので、どうしたものかと思っていた時に、この本を見かけたので購入しました。しかしいざ読んでみると、「マルクス入門」という題に反して全然入門書ではない難解な文章だったので、読むのに苦労しました。
 まず上記の通り初心者向けの記述は序章しかなく、以降はいわば筆者のマルクス解釈が延々と綴られる内容でした。その筆者のマルクス解釈も現実的な解釈なら、まだ良いのですけど、完全に観念的な解釈なので読んでいても意味がさっぱり判りませんでした。実際本書の後半で経済観や歴史観についても触れてはくれていますけど、こちらについても観念的な解釈が述べられているだけなので、「マルクス史観」とはどのようなものなのかというのを学びたかった身としては、全く役に立ちませんでした。
 本書の文章がどれだけ難解かといいますと、第四章の「歴史的時間の概念」から一文を引用させて頂きます。

 「上級は下級をアウフベーンするというのと同じである。それが具体的現実の運動の叙術であり、この運動のなかには人間の精神行為としての言説が不可避のモーメントして含まれている。だからこそ、ヘーゲルは具体的現実をガイストと呼ぶ事が出来たのである。ガイストの多義性のために、ある種の誤解もありえたのだが、ガイストの真実の定義は自然界と人間界を構成要素とする全体である」

 正直この文章を読んだ瞬間、「どこのライトノベルだ」と思ってしまったくらいです。このように終始観念的、抽象的な表現が続く、非常に読みにくい本でした。
 もしかすると哲学的にはこのような文章は当たり前なのかもしれません、しかし哲学に馴染みの無い身としては全く意味不明でした。もしこのような文章を理解出来ない者には哲学を学ぶ資格はないと言われるのなら、私にはその資格はないでしょうし、このような言葉遊びを弄する学問など学ぶ必要はないとも思いました。

 以上のように「マルクス入門」と銘打ってながら、その実情は筆者のマルクス解釈であり、その解釈も観念的な、哲学を学んでいない者には意味不明な物でした。おかげで、最近哲学についての認識を改めつつあったのに、この本を読んでまた「哲学は暇人が学ぶ学問」という思いが強くなってきました。ただマルクス史観については学ばなくてはいけないとは思っていますので、この本のような羊頭狗肉ではなく、本当の意味でのマルクス入門になるような本を探したいと思っています。
 最後になりますが、「難しい文章を使いたがるのは、文章が下手な証拠だ、下手だからことさら難しい字を使って飾ろうとしているのだ」、福沢諭吉が残したこの言葉を本書に捧げたいと思います。