この土日は先週から読み直し始めた「甘粕継成日記」や「復古記」等を、日がな一日中読むと言う贅沢な休日を過ごさせて頂きましたが、こうやって史料を読み返すと薩摩藩の軍監を勤めた淵辺群平と言う人物の評価が私の中で上がっています。どうも北越戦争の新政府軍は長州藩が主で、私自身も今までは北越戦争の新政府軍では長州藩と松代藩をメインに扱って薩摩藩はあまり重視していなかったのですが、色々な史料を読むとこの淵辺の存在の大きさが伝わってくるんですよね。
特に今町攻防戦では淵辺が敗兵を収容しなかったら、今町の新政府軍は壊滅していたでしょうし、第三次長岡城攻防戦後の同盟軍への追撃戦で主力となった、追撃隊の指揮も淵辺が取っていたようですし、もっと評価されるべき人間ではないかと思い始めています。
私自身が薩摩藩に対して無知なので、今はこの淵辺について殆ど判らないので、今年は米沢藩ばかりではなく、薩摩藩等の今まで勉強してこなかった藩についても学んでいきたいですね。
特に今町攻防戦では淵辺が敗兵を収容しなかったら、今町の新政府軍は壊滅していたでしょうし、第三次長岡城攻防戦後の同盟軍への追撃戦で主力となった、追撃隊の指揮も淵辺が取っていたようですし、もっと評価されるべき人間ではないかと思い始めています。
私自身が薩摩藩に対して無知なので、今はこの淵辺について殆ど判らないので、今年は米沢藩ばかりではなく、薩摩藩等の今まで勉強してこなかった藩についても学んでいきたいですね。
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