歴声庵

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北総史学舎 寺子屋歴史講座

2011年08月07日 14時15分19秒 | 戊辰戦争・幕末維新史



講座名:北総史学舎 寺子屋歴史講座
講師:大山格氏
日時会場:2011年6月25日、7月9日同16日、同23日、同30日、8月6日(赤字は欠席)
        千葉県流山市:えんま堂 
講座内容
 第一回:「世界史のなかの幕末」・「聞き書き記事を読む」
 第二回:「30分でわかる明治維新」・「風刺画を読み解く」
 第三回:「八月十八日政変の諸史料を読む」
 第四回:「薩長同盟実歴談を読む」
 第五回:「寺田屋伊助申立書を読む」
 第六回:「明治元年の政権構想」

 歴史家の大山格さんと、流山市の観光案内NPO団体北総新撰組さんとの合同企画である勉強会「北総史学舎 寺子屋歴史講座」が6月から8月まで全六回の日程で実施されました。初級・中級・上級が各ニ回のスケジュールで実施され、私はその内四回参加させて頂いたので感想を書かせて頂きます。
 まず第一回の「世界史のなかの幕末」は、世界史の流れと幕末史を同列の時系列で解説して頂いたものでしたが、知っているようで勘違いしている事が多かったですね。戊辰戦争の際、米国から南北戦争終結により過剰在庫になった小銃が大量に輸入されたので、てっきりペリー来航は南北戦争終結後と思っていたら、ペリーが来た後に南北戦争が勃発したと言うのは知りませんでした。確かに戊辰戦時に日本に影響力を持っていた外国の双璧は英と仏で、米国が一歩遅れていたのは知っていたものの、それが南北戦争の影響とは知らなかったので勉強になりました。また米国と同じように英仏よりも日本に対するアプローチは早かったものの、その後の進出が遅れてしまったロシアの原因はクリミア戦争だったというのもビックリ。クリミア戦争その物は知っていたものの、日本の幕末維新史との関連は考えていなかったので新鮮でした。
 また日本では俗説の為にあまり人気の無いハリスですが、清とは違い日本にアヘンが入って来なかったのは潔癖症のハリスのおかげと言うのは、もっと広めるべき話だと思います。
 「聞き書き記事を読む」は二本松戦争の事を、後年の昭和に元二本松藩家老の娘さんが語ったインタビューを読むものでした。講座の主眼としては、戦前の国民の士気を煽った記事だと判って読んで欲しいとの事でしょうが、それはそれとしてあまりにも事実誤認が酷すぎ(汗) もはや捏造と言って良いレベルで、何でこの人は昔を語る前に、歴史書を読んで自分の記憶との矛盾を解消しなかったのかと思ってしまったりして。

 第四回は薩長同盟における坂本竜馬の功績についての話との印象が強かったです。どうも坂本はフィクションの虚像が強すぎて。英雄詩された人物像と、「美化されているだけで、所詮は薩摩の小間使いに過ぎなかったのでは?」との批判的な認識の間で、自分の評価も揺れていました。ですので今回の講座での大山氏の「行動力に関しては長けていた人物」と言う評価は、「英雄」と「実は大した事の無い人物」との両極端な評価の中で揺れていた私にとって、すんなり入る物でした。
 このように自分の中で評価が上がった坂本ですが、本来機密同盟の筈の薩長同盟の存在が、坂本が自分の同行を知人に誇ろうとした書面が幕府の見回組によって押収された為、薩長同盟の存在を幕府に察知されてしまったと言うのには笑ってしまいました。坂本は行動力に長けた非凡な人物だったのでしょうが、過剰な自己顕示欲とずぼらな機密管理から考えると、司馬遼太郎が言うような英雄とはとても思えません(汗)
 尚、そんな坂本に薩長同盟の承認の役を頼んだ桂小五郎も問題があるとは大山氏の弁ですが、世良修蔵の一件を考えると、機密情報を迂闊に他人に預けてしまうのは長州人の共通した欠点だと思う(汗)

 第五回は、そのような坂本竜馬の伝説がどのように作られたについてです。坂本竜馬伝説が日露戦争の開戦時に明治天皇の皇后の夢に出た話が始まりと言うのは知っていましたが、そのフレームアップに香川敬三が関わっていたと言うのは驚きです。坂本の英雄化は単なる土佐派の影響力回復と言うのはまだ判るものの、宮内省の閑職に追いやられた土佐派が、天皇の影響力を利用して権力を掌握しようとしたと言うのは本当に驚きです。
 ちなみに個人的には、香川が単に岩倉具視のお気に入りと言うだけで出世した人間との認識しか無かったのですが、その香川も後年の岩倉使節団に入れて貰えなかった事を考えると(私費で参加)、後年は岩倉の信頼も失っただろうと言うのは驚きでした。そして岩倉の信頼すら失った香川が、最後に権力の拠り所にしようとしたのが坂本なのでしょうか。・・・それにしても香川と言い、陸奥と言い、藩閥すら無い藩の出身者の吹き溜まりみたい感じですね、晩年の土佐派って。
 尚、香川が岩倉の信頼を失ったと思われる、戊辰野州戦争での香川の失態はこちらこちらを参照下さい。

 最後の第六回は明治新政府がどのような政権構想を持っていたかについてです。五箇条のご誓文が発布されるまでの意見の変異を通じて、明治新政府内の意見の移り変わりを説明して頂きましたが、個人的に印象に残ったのは、明治新政府発足時は各省の長官(卿)が公卿や諸侯だったのに、やがて諸藩の藩士に取って代われた事の説明です。実は今までこのような公議政体派の諸侯が権力から追い落とされたのは、鳥羽伏見の戦い時に徳川慶喜を支持しようとした公議政体派を、あくまで討幕を主張して鳥羽伏見の軍事的勝利によって権力を得た討幕派の藩士達が追いやった、一種のクーデターと思っていました。そして鳥羽伏見の戦いを、単に旧幕府だけで無く、公議政体派の諸侯まで、つまり討幕派の諸藩士達が大名と言う権力を打ち破った戦いと言う認識を持っていました。しかし今回大山さんに、そんな大層な物でなく、単に温室育ちの大名が激務に耐え切れずに逃げ出しただけと教えられ拍子抜けしてしまいました(汗) 何と言うか私も陰謀論に毒されていたのだと反省です(汗)

 以上が、今回の勉強会の感想です。知っているようで知らなかった事、また自分が無意識に持っていた誤った歴史観を正せれる機会を得れたので勉強になりました。またこのような機会があったら参加したいですね。例えば今回は坂本の英雄化がテーマになりましたが、それと対照的に実務的に有能な人物としてマニアからの評価が高い中岡は、何故坂本のように偶像化されなかったのかなんて面白いような気がするのですが。


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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (中西豪)
2011-08-07 15:40:48
某も聴講したかったでござる。
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Unknown (梅痴鴉)
2011-08-07 19:45:22
第三回:「八月十八日政変の諸史料を読む」を参加させて頂きましたが、目的が「史料を読んでみよう!」という基礎中の基礎でしたが、つかさんや私が悪戦苦闘する旧漢字やその読み方など面白うございました。
西園寺公望の見事な「中二病」も大笑いです。
しっかし、大村益次郎ではありませんが「あなたは軍人に向いていません」とはたしかに・・・・(笑
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Unknown (つか)
2011-08-07 22:37:32
中西さんへ

 遠方だと難しいですよね。私としては、中西さんの講座も聞いてみたいですが(^^)

梅痴鴉さんへ

 八月十八日の政変の講座は私も聴きたかったです。何だか笑いも出たりして楽しかったそうですね。
 旧漢字は本当に苦戦しています。印刷ならまだ何とかなるかもしれませんが、正直崩し字は目下お手上げ状態です(汗)
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