世良が襲撃された福島城下の金沢屋は、仙台藩が軍務局を設置していたのを世良に譲った経緯がある。妓楼だったとされるが事実と異なるし、東北人に対して失礼だ。福島城の目の前で、そんな施設の営業を許した福島藩、妓楼に役所を設置するほど仙台藩はスキモノだったいえるのか?
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昨日木滑要人の事を家老じゃないとしか書きませんでしたが、木滑の慶応四年時の役職は年寄で、奉行(米沢藩の家老の呼称)は千坂高雅・色部久長・毛利業広・竹俣久綱の四人です。Wikipediaには五人が家老の定数と書かれていますが、必ずしもそうではないのでご注意下さい。
やばい、このラジオを聴いていると、私の中で新たなブームが発生しそうです(^^;)。 @pacific_18 俺修羅ラジオ、かやのん料理上手なのね