歴声庵

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6月3日(月)のつぶやき

2013年06月04日 01時01分50秒 | twitterまとめ

今回の大河での、世良修蔵の描き方について思う事。ネットの発達で一般人でも史料が読めるようになった今、司馬遼太郎や星亮一が描いたように、世良の事を「無教養」や「卑怯者」との『嘘』が通じなくなってしまった。


しかし世良を悪く描かないと、会津を被害者と描けないので、今度は世良を武闘派として描いて、「あくまで会津討伐を主張する強硬派、ただし無教養や無能では無かった」と描くように路線変更したのか?。確かに権限は無いとは言えども世良が会津討伐を主張し続けたのは史実なので、これは否定出来ない。


つまり世良を「会津戦争の現況となった人物」と描いて、会津を被害者に描くようにする。ただし世良の人格や能力を否定すると、捏造を指摘されるのでその点は改めたとの妥協なのかな?。そうなると今回の世良は、阿武隈川の畔で「さあ、殺せ!」と叫んで斬られる展開になるのかな。


時代考証の内、会津贔屓の山村竜也は世良を極悪非道に描きたかったが、もう一人の時代考証の大石学氏がそれを阻止したとの図式かな?


@issengorin 個人的には、河井の中立論はポーズに過ぎないと思っています。実際、河井が中立論を明言したのは同藩士の安田鉚蔵に対してだけで、公の場所では発言した事がないのに、何故か中立論の言葉だけが独り歩きしている気がします。


@issengorin また河井は慶応三年の末~同四年二月にかけて、会津藩と共に越後諸藩を佐幕派に纏める外交工作をしています。慶応四年の二月まで佐幕派として動いた河井が、その後突如中立論を掲げても、無理があるような。むしろ本当に中立論に転じたのならば、定見が無いと思ってしまいます


@ritsu918 会津と仙台は一心同体と言う描き方でお茶を濁す気がします。むしろ視聴者の興味を世良に向けさせて、その辺の会津や仙台にとって、あまり触れられたくない個所に意識を向けさせないようにする気がします。


@issengorin 都合の良いイメージと言えば、実際の北越戦線の中盤では、長岡藩兵は領内の一揆討伐に追われて、前線は米沢藩兵に任せっぱなしだったのに、郷土史家さんはこの巻・曾根一揆には殆ど触れていないのが残念です。せめて稲川氏にはこの一揆についての考察をしてほしいのですが。


@issengorin そうですね、北越戦争の遠因は長岡藩の動向よりも、慶応四年の一月に徳川家が、越後内の直轄地約30万石の大半を会津藩に与えたのが大きかったと思います。よく越後最大の領地は高田藩と言われますが、それ以上の領土を得た会津藩の影響力は、それまで以上になったと思います


今日でキャンペーンが終わった、サンクスの『ガルパン』キャンペーンの応募用紙を作成終了。とりあえずA賞のさおりんを一口、B賞の全員を二口応募。これに加えて、応募しないで保存用に取っているシールが全員分あるので、思っていたよりも買っていた模様(^^;)。