次回投稿予定で書いていた記事より先に 書きたいことが出来てしまいました。
すぐにでも出 したかったのに … こちらは さらに 気持ちとは うらはら!
手のろくて時間がない は、送稿が めちゃめちゃ遅 ――――――― い!
マー君なら [自分の名前]、
私と娘なら [マー君の愛称] と して使用 しています。
今週の月曜日、マー君から電話がありました。
マー君 : 「ミッチー、 もうすぐ 4歳 になるんだよ。」
ミッチー : 「えっ! そうなの~!」 (知っているけど、一応 知らない振りを …!)
マー君 : 「うん!」
ミッチー : 「いつ 4歳になるの?」
マー君 : 「う―ん、 わからないけど …」 (電話の向こうでは たぶん首を傾げてるのでしょう!)
ミッチー : 「あら~、自分のお誕生日 いつだかわからないの?」
マー君 : 「う~ん!」 (困ってる 困ってる! 可愛い~ぃ!)
ミッチー : 「ミッチーは7月なんだぁ~。 よろしくね~!」 って言ったのに、それは無視されて、
マー君 : 「 、 幼稚園 行くの。」
ミッチー : 「そうなの~!? 幼稚園行くってなったら お兄ちゃんだもんね。
ちゃんと、<兄ちゃん> にならないとね~!」
マー君 : 「うん。」
(この間、なんか もにゃもにゃ … 云っていたような … )
マー君 : 「じゃ~ね。 バイバイ!」
いつも 自分の喋りたいことだけ喋ると こんな言葉を残 して勝手にいなくなってしまうマー君。
こちらは だいたい、〔 え~っ、何 それ~!? 〕 という気分で終わるのが常 となっています。
今日も いつもと同 じように、そんな感 じでママに代わりました。
すると ママが
マ マ : 「なんて言ってたか わかった?」 と言いました。
ミッチー : 「え? 4歳になって幼稚園行くって言ってたんじゃないの?」
マ マ : 「あれっ! わからなかったんだ~! じゃ~ もう一度代わるね。」
そう云って また マー君に代わりました。
〔 ?? 何かあるの? 〕
この時、たぶんママは 「もう一度 あのお話 して!」 って言っていたので しょう。
マー君から
マー君 : 「 ミッチー、 あのさ の赤ちゃん が出来たんだよ。」
思いがけない報告がありました。
ミッチー : 「え―――っ! 、 ホントに <兄ちゃん> になるの!」
マー君 : 「うん!」
ミッチー : 「嬉 しい?」
マー君 : 「うん! じゃ~ね。 バイバイ!」 ( <うん> から <じゃ~ね> までが 早すぎ~!)
すでに次の楽 しみを見つけていたのか、言うだけ云うと またあっさりと代わってしまいました。
でも でも … つまり これは
ひとりっ子 じゃ可哀相だから
二人目をつくったほうが良いん じゃないか とは ずっと思ってきたこと。
だから これは 本当に嬉 しい報告で した。
今のところ 生まれるのは11月あたり ら しい ということくらい しかわからないようです。
(今月末の検査で、 予定日は 11月2日ということになりました。)
でも ちょうどマー君も幼稚園に行き始めるので 少 しはお兄ちゃんらしくなるんじゃないかと思いますし、
ママも ベッタリから開放されて 少 しは 楽でいられるかも しれない。
今になれば ちょうど良い時期 だったのかも しれないわね~! と思えます。
私 : 「 、 嫌がらなかったの?」 と聞くと
娘 : 「初めは嫌がってたけど、 [ が可愛がってあげるんだよ!] って云ったら、
[楽 しそ~!] だって!」 と。
< の赤ちゃん> って云ったのは そんな経緯(いきさつ)があったからなのね!
それにしても、の って … マー君が生むわけじゃないのに …!
それに、赤ちゃんのことなんて まだ おもちゃ感覚で しか捉えられないで しょうね~!
これからまたいろいろと 現実的な問題も出てくるんで しょうけど、とりあえずは よかったね~!
二人目は大変な面があると思うけど、体調管理に気をつけつつ 頑張らないとね!
ほんとに おめでとう ね~
そして もうひとつ、
こちらも、おめでとうさ~ん
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
マー君の赤ちゃん!? … ということで
1963(昭和38)年12月発売、
弘田三枝子 さん の 『私のベイビー』
(作詞 = P.Spector/E.Greenwich & J.Barry/漣健児
/作曲 = P.Spector/E.Greenwich & J.Barry)
「忘れられない ひとみ はなれられない その魅力」
「だから 愛 して うんと 愛 して もっと愛 して ほしいのよ わかって」
「ビー マイ リトル ベイビー わたしのベイビー いつまでも Woo Wow Wow Wow Wow」
マー君が 赤ちゃんを可愛がってくれますように …
ママやパパは 赤ちゃんに係りっきりで、マー君に 「もっと愛 して!」 なんて思わせないように …
やきもちを妬かせないように … 上手に 家族の絆を深めてね。
(※ ブログ内容や 歌詞から、その時 感じたことを書いています。)
この歌の本来の意味からすると、 <ベイビー> は 赤ちゃんのことではなく、
愛 しい人(彼)への想い になるわけですけどね。
彼女の愛称は ミコちゃん。
小学校の2年生の頃から進駐軍のキャンプでジャズを歌っていたというだけあって、
1961(S.36)年 14歳でデビューした時も
ヘレン・シャピロ(イギリス)の 『Don't Treat Me Like a Child』 の日本語カバーでした。
この 『子供ぢゃないの』 が 発売 ひと月で 6万枚の売り上げを達成 したこともあり、
翌年も コニー・フランシス(アメリカ)の 『Vacation』 を 『ヴァケィション』 と してカバー。
この年、NHK紅白歌合戦に 同曲で出演。
(以後、1971(S.41)年までの間に 紅白には8回出場 していらっしゃいます。)
この曲 『私のベイビー』 も
アメリカの女性3人グループ 「ザ・ロネッツ」 の 『Be My Baby』(1963.10) のカバー。
オリジナルとは違ったパワフルな歌唱で大ヒットし、
ポピュラー・ミュージック国内盤レコード売上げチャートで
この年の12月と翌年1月の2ヶ月間 第1位を記録 したそうです。
1965(S.40)年には、日本の歌手としては初めて、
アメリカの「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」に出場 し、3日目のトリを務め、
1968(S.43)年には、ジャズ、ポップスに続いて R&Bという新たなジャンルを ものにし、
1969(S.44)年には、『人形の家』 で 第11回日本レコード大賞の歌唱賞を受賞。
1970(S.45)年には、この頃にはまだ珍 しかったダイエット本を出版して大ベストセラーとなり、
ベストドレッサー賞を受賞。
1971(S.46)年には、『できごと』 という歌で、東京国際歌謡音楽祭(後の世界歌謡祭)の歌唱賞を受賞。
1973(S.48)年には、ブルガリア音楽祭へ出場。
1976(S.51)年には、中野サンプラザで約10年ぶりのリサイタルを開催 し、立ち見が出るほどの反響ぶり。
… と、ここまでは 凄い勢いだったことがわかります。
その後、
アメリカ滞在中に結婚 して愛娘を授かるも すぐに離婚。
1980年、お嬢さんを連れて帰国 し、姉さんと同居。
その後はディナーショーや懐メロ番組などへの出演が中心となっているようです。
当時、ホントに <ミコちゃん> という愛称がぴったりだった彼女。
CMソングで 忘れられないのが 小林亜星さんが作詞作曲を手がけた
レナウンの 『ワンサカ娘』 (1964年)。
テレビの画面映像も強烈なインパクトがあったので 今でも絶対歌えると思っています。
<元気娘> も 2月には65歳になられました。
それでも 私が知る彼女の印象は 今でも 元気印!
人生にはいろいろありますし、いろいろ言われることもおありでしょうが、
まだまだ頑張って 歌い続けてほしいと思っています。
元気な人は分け与え、落ちている人は 少し いただ いて、みんなで 頑張らなくっちゃ!
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