爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

墨田区・郵政博物館と立花大正民家園を散策

2022-06-16 14:15:08 | 日記

久々の墨田区押上である。スカイツリーが完成(2012)して10年たったとのことである、私もその年に見学し翌年再雇用退職となったので、私のことと結びつけて10年たったのかと感慨深い。今回は、スカイツリーではなく、目的は「郵政博物館」である。
「郵政博物館」は最寄り駅である押上駅で下車し東京スカイツリータウン・ソラマチ9階にある、前は「郵政博物館」ではなく「逓信総合博物館」の名称であった。大手町を通る度にいつか見学をと思っていたがやっとのことで実現した。大手町にあった博物館は2013年に閉館し、ここ東京スカイツリータウン・ソラマチ9階にリニューアルオープンした。入館してみるとワンフロアーでコンパクトな印象を受けたが、NTTに関わる展示物は一部、NTTに寄贈したようです。
「郵政博物館」のコンセプは「心ヲツナグ 世界ヲツナグ」で、郵便や通信がもたらす人と人の心のつながり感じるようにとしている。

入口には「赤いポスト」がお出迎え。この赤いポストは、時々、見かけるがデコレートされたポストもあったようです。中には前島密氏(1835~1919)の胸像が、明治のはじめ日本に郵便の仕組みを築いた人物で、我が国の「日本近代郵便の父」と呼ばれ、1円切手の肖像にもなっています。 前島氏の信条は、「縁の下の力持ちになることを厭うな。人のためによかれと願う心を常に持てよ」で、その信条どおり郵便事業の他に、江戸遷都、国字の改良、海運・陸運、新聞、電信・電話、鉄道、教育、保険など多くの功績を残しました。
我が国の通信制度は、律令制のなかで駅制(16kmごとに駅馬)を配置し公用通信に供した、その後、飛脚にかわり明治に入り飛脚が郵便に移行していく。
ここ郵政博物館は、近代郵便制度に関わる物が多く展示されている。

 

次は「立花大正民家園」(旧小山家住宅)へ。押上駅から曳舟駅で亀戸線に乗り換え「東あずま駅」で下車。
駅から歩いていると町工場が残る立花地区であると感じる、細い道を歩いていると旧中川が目の前に、「立花大正民家園」(旧小山家住宅)は旧中川沿いの道路から下がった所にあった。

昔は洪水の時に近隣の方の家財が持ち込まれたとのことで、旧小山家住宅は若干高い場所だったようですが、現在は防災によるかさあげで道路より低い位置にある。住居までの小道の両脇に多種多様な草木が植えられている。所々に七福神の像が置かれている、自分の庭で七福神巡りができる。住居は、格子戸の細い木割りと黒漆喰壁から構成される正面、玄関と土間口、奥座敷,上手の縁側は、この地域の住宅の特徴を受け継ぐとともに、変わりゆく町並みに江戸時代からの農家と町家の雰囲気を今に伝えられていると言われています。農村の名主の家とは異なる。関東大震災、東京大空襲の災害もまぬがれた墨田区唯一の古民家で都市近郊農村文化のぬくもりが残り、墨田区の指定文化財となっています。

「立花大正民家園見学のしおり」より抜粋
♢建築年♢
大正6年(1917)2代前の当主が寄棟造茅葺の住宅として創建しました。住宅は、何度か改造されていますが、大規模なものとしては、昭和10年代前半に屋根が茅葺から瓦葺に葺き替えられました。昭和43年(1968)には家族構成の変化により、便所、押入、廊下等を改造、台所東側に2階建ての住宅が増築されました。
♢小山家住宅の寄贈♢
小山家住宅は、典型的な整形四間取平面を受け継ぐ農家としては土間部分が狭いこと、柱梁組における素材・意匠とも充実しており、江戸の町屋的な性質を持つことが特徴です。都市近郊の農村住宅において、近世からの伝統を踏まえつつ接客空間・詩的空間を充実させる近代住宅の一つの方向を完成させた貴重な遺構です。墨田区の地域の風土性や生活文化を具体的に物語るものとして文化的、歴史的な価値があります。このようなことから平成10年に墨田区が購入しました。
♢特徴♢
〇柱ー全体的に柱が太く、構造的に丈夫な造りとなっています。
〇天井ー座敷・台所・土間の天井を根太天井として丈夫にし、浸水時に貴重品や生活用具を屋根裏に引き上げ、一定期間そこで生活が可能です。玄関南東隅に天井裏への上り口があり使用時はハシゴが掛けられます。
〇玄関・居間ー創建当時は土間であり、カマド・米蔵があったようです。昭和10年代の改築により床が張られました。
〇台所・風呂ー創建当時より改造の痕跡が多く見られる場所です。現在の風呂場は屋根の葺き替えを行った昭和10年代前半に造られ、その前は現在のボイラーのある位置に五右衛門風呂があった。
〇旧玄関・大戸(現玄関)ー正面に玄関を二つ設けるのは、墨田区周辺地域の民家の特徴。正式な玄関は座敷のオモテに設け、主人・客人用とし、土間の入り口は大戸(通用口)として使い分けた。実際にはほとんど活用されなかったようです。江戸時代の伝統が色濃く出た出格子窓、竪格子戸、引き違い格子戸は町家的な装飾効果となり建物に独特な味わいを生みだしています。
〇入側縁・便所ー座敷のカミテに入り側縁を設ける形式は、墨田区周辺地域の民家に多く見られる形式です。両端に押し入れと便所を設けることも共通しています。彩光と便所への動線の確保を求めたものと考えられます。

立花大正民家園の名の通り、大正時代の特色が出ている民家と言われています。15年という短い期間ですが激動の時代を感じさせます。ある意味、昭和時代の高度成長期と同じ大正時代の高度成長期と言えます。生活や文化の変化、建築も同じで鉄筋コンクリート造や鉄骨、硝子など技術や工法、材料など飛躍的に進歩を遂げた時代です。こうした大正時代の特色を感じさせる立花大正民家園でした。

 

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