爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

小石川の紅葉を楽しむ散歩

2018-12-04 19:00:36 | 日記

「退職者の会」の12月例会は、紅葉を楽しむ散歩の企画でした。小石川植物園・小石川後楽園を中心としたコースで、後楽園の「紅葉まつり」の期間中に合わせた散策です。
白山駅からスタートし、白山神社を散策する。白山神社は御神木が「旗桜」で、その名のとおり桜・アジサイが有名で紅葉の樹木は少ない。私も白山神社は二度訪れたが、狛犬の目が金色に色づけされているのは不思議である、「孫文」の碑、八幡太郎義家を祀った八幡神社などを見学し小石川植物園に向かう。

小石川植物園も二度目の見学である。江戸時代は、徳川幕府の「小石川御薬園」、現在は東京大学の附属植物園となっており、地形に合わせた植生が約4000種類が配置されている。ニュートンのりんご、メンデル葡萄など見所もある、敷地内には事務館、旧東京医学校本館、柴田記念館など古い建造物もある。

 ※四季折々の植物を楽しめますが、建物との調和も素晴らし。

播磨坂に行く前に前回と同じ蕎麦屋に立ち寄るが隣が「新福寺」である、新福寺は「鐘撞料(かねつきりょう」を徴収した文書が残っていることで知られるが、幹事のMさんの説明では夏目漱石がこのお寺の2階に友人と下宿し、試験の時にカンニングしたとのエピソードがあったそうです。
「播磨坂」は、昭和35年(1960)に「全区を花でうずめる運動」が育ち、いまでは桜の名所となりました、平成7年(1995)には「水と緑と彫刻のある散歩道」として播磨坂が整備されています。

脇に入ると「石川啄木終焉の地」の歌碑と顕彰室がある。前にも訪れたが終焉の地とあって淋しい歌が多く展示されています。

播磨坂から伝通院に向かう。伝通院は、1415年無量山寿経寺という名で開創したが、のちに徳川家康の生母「於大の方」の菩提寺となり法名から伝通院と呼ばれるようになった。墓石は千姫をはじめ歌人、作家など著名人の墓石が多い。

この近くに幸田露伴邸があるということで探す。露伴邸は史跡「善光寺坂のムクの木」の前にありました。表札は、「青木・幸田」とありました、向島からこの地に引っ越して来て、幸田露伴、幸田文、そして娘の青木玉と暮らしてきました。幸田家の様子は青木玉氏の「小石川の家」「上り坂下り坂」など記述されているようです。「善光寺坂のムクの木」は、樹高約13m(主幹約5m)樹齢約400年と古木である。空襲により樹木上部が焼けてしまったがそれ以前は23mあったそうです。この場所は江戸時代、伝通院の境内であり、本樹は伝通院の鎮守であった澤藏司稲荷の神木として現在にいたっている。

 ※幸田露伴の子孫は、幸田文。青木玉、青木奈緒と女性が文学者として活躍してきました。

善光寺坂を下り、慈眼院、名前の由来である善光寺を通り最後の小石川後楽園に入る。

小石川後楽園は、かつては水戸藩の中屋敷(後に上屋敷)跡で大名庭園である。
海と川と山と野の4つの景観を有する回遊式庭園である。水戸光圀は造成にあたり明の遺臣朱舜水の意見を取り入れて完成させています。
「紅葉まつり」が開催中とあって人混みも相当なもの、結婚式の前撮り、和服モデル?、コスプレ女性、カメラマン等々・・・
都心でこんなに紅葉を楽しめる所はないかもしれません。太陽の下での赤、黄、緑の美しさを満喫しました。

 

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