こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

日々の研鑽を怠ることなく前進する努力

2022年10月25日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
昨日のくりかえしのような空模様だが、風が強く吹いている。
気温は1ヶ月飛ばして12月並みとかで寒く、妻の助言通りにマフラーを巻いてこなかったことをが悔やまれる。
医局の机の窓から外を見たら、富士山が真っ白になっていた。
昨日はまだ真っ黒だったから、初冠雪で一気にこんなになったのだろうか。
今年の冬は寒くなりそうという予報は当たりそうだ。
なぜだかわからないが、仕事は相変わらず忙しい。
私を必要としてくれることが多いということは、それだけ多くの患者さんの役に立っているということで、病理医冥利に尽きるが、多ければそれなりに診断に苦慮する症例も増えて悩みも増える。

病理診断は患者さんの病名を確定することでその一生を決めてしまうことだというプレッシャーを感じることがある。
臨床医は血液検査や画像診断とともに病理診断の情報を総合して治療方針を決める。
そういう意味では病理診断だけで患者さんの命が直ちにどうこうなるわけではないが、いったん癌と診断したらその人は”一生”癌にかかったことのある人となる。
もちろん、病気は癌以外にもたくさんあって、病理診断にはそんな症例が山のように持ち込まれてくる。

画像診断だからAIにやらせたらいい、というのはもっともで、一部の組織像が正常から逸脱しているかどうか、それはどんな種類の病気であるかというようなことを調べてもらうととても助かる。
病理医はそれらの情報を統合して、より複雑な情報を臨床医に送り、適切な治療方針の決定に結びつけることができる。
ただ、私のやっているような希少疾患の多い領域の病理診断は、大腸癌とか胃癌のようなありふれた疾患と異なり、AIに学習させるだけの症例数がなくて、まだまだ時間がかかりそうだというのが現状だ。
そのためにこれまで色々と勉強してきたが、まだ見たことのない病気に遭遇したり、見たことのあるはずの病気が姿を変えていたりとかで日々悪戦苦闘しているが、レンズの向こうにいる患者さんのことを思うと、引退するまでは奮起して頑張らなくてはならない。

病理診断以外の仕事もどんどん舞い込む。
原稿だの、論文の査読だの、学会のお世話だのと、私以外にいくらでも適任者がいるのになぜだか私に仕事回してくださる方がいる。
希少疾患が主戦場のニッチな領域だからだろうが、それにしてもしんどい。
そろそろ現役としての終わりが見えてきているので、これ以上勉強するのも億劫だが、頼まれた仕事は断らないという父のモットーを、結局私も守っている。
いったん勉強することをやめるとあっという間に知識は陳腐化して、診断能力は落ちる。
結局のところ、日々の研鑽を怠ってはいけないということだ。
がんばれコロ健

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