こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

遺訓と宿題

2013年03月08日 | 日々思うこと、考えること
私が大変尊敬していた中学高校時代の先生が亡くなられた。88歳だった。

中学校の入学式のときに、下駄箱の横の壁に、先生の名前のあとに「死亡」と続けてある落書きがあって驚いた。すでに母校の名物教師であり、生徒指導もしておられた先生に反抗した生徒がそんな落書きをしたのだろう。36年前のことだ。その時、学生運動の燃えかすの臭いのようなものを感じ、高校生という大人のいる学校(中高一貫校)に入ったのだと感じたのを覚えている。
社会科の先生で、優しい笑顔でしてくださった授業は楽しく、もともとも文系科目が好きであった私は先生の大ファンであった。
私が初めてお会いした時、先生はすでに50歳を過ぎておられたわけで、自分たちの親よりも年上の、戦争を体験してきた人生の大先輩ということを感じ取っていたのだろうか、多くの生徒から慕われていた。

先生はそんな落書きにもかかわらず、それから36年間ご無事に過ごされ、3年ほど前に開いた同窓会にもお出でいただいた。

今となっては、遺訓であり永遠の宿題となってしまったが、そのとき、私たち同窓生に次のようなお言葉をいただいた。    
「この頃の我が国の様子は、言葉がないくらいの内憂外患状態です。短歌をひとつ聞いてください。

『君による 為さるべきこと さらにあり この大いなる 国の窮みに』。

この国の有事に君にしてもらいたいことがたくさんある…… これは昭和21年、私が中国から復員してきたばかりの頃に新聞で見た短歌であります。順番からいって、あとは君たちにお願いします。どうか、我が愛する日本をよろしくお願いします」

某科の迅速が入っていたのだが、葬儀場が近いということもあって合間を縫ってお通夜に参列することができ、お焼香の列に並びながらこの言葉を思い出し、考えていた。

これまで私はどのように生きてきただろうか。
この国のために何をしてきただろうか。果たして自分のことばかりで、この国から何かをしてもらうことばかりを考えていたのではないだろうか。

先生は教育者として、多くの優秀な人材を育てた。
私ももうすぐ、初めてお会いした時の先生の年となる。
まだ時間はある。
いま一度立ち止まり、よく考え、宿題に取り組まなければならない。

にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へにほんブログ村
日記・雑談(40歳代) ブログランキングへ




最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。