こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

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2010年02月07日 | 家族のこと
一喜一憂の一週間。
娘はなんだか、とっても穏やかでのんびりした学校とご縁があった。学校が古いままの教育スタイルを維持している。
受験校への変身が集客にいい、ということで”昔は”という学校が多い中、ユニークだ。学校案内を見ると、少しは受験教育にも力を入ている、とあるが、いる子がみんなのんびりしていれば、そうそう変わることはできない。
一年前小五の娘に始めさせた中学受験。果たして、これはなんだったんだろう。一年間、いろんな勉強をした、という点からは良かったとは思うが、この一年間で、ほかにもいろんなことができたのではないだろうか?娘は、これといったお稽古事もなにもしていない子だったので、受験勉強がちょうどよかった、というところか。
それにしても、トップの進学校、というのはどんな子がすすむのだろう?東大に40人前後進学する私の母校の偏差値は60台。私が入った頃よりもずっと高い。息子さんを母校にいれている同級生も何人もいるが、みんな口を揃えて、「いや、ホント大変だったよ」という。
本当に大変なんだろう。だが、合格しただけでは十分ではなく、もう、中学の勉強を始めないといけない。私の同級生で東大に進んだやつは、後で聞いたら中一から塾に通っていた(最も優秀な私の親友は塾とは無縁だったようだが)。私はそんなことつゆ知らず、あっという間に落ちこぼれ、いや、学校の勉強にはなんとかついていっていたのだが、苦手科目は赤点の連発、学校での順位も下位1/5になってしまっていた。一念発起、中三から頑張ったが、真ん中が精一杯。私の場合、「入ってからが大変だった」。

繰り返しになるが、いくら、塾と私立中学の経営戦略であろうが、中学受験は娘にとっては良かったように思う。というのも、勉強がとても良くできるという訳ではない点で、1年間勉強したということ。スケートだとかテニスだとか、何か打ち込んでいるスポーツもなく、楽器(ハープ)も打ち込んでいるというほどではない、という状況では、何もしないまま中学に行くところだった。そういう意味では、塾代は結構高かったが、まあよかったのかな。と。逆に言えば、この年で何もしないでいたというのもどうだったのか?と思うが・・・(私は、あの頃、なーんにも考えていなかった)。

第一志望に入れなかった子、次善校にしか入れなかった子、どこにも入れなかった子、いろいろいるだろうが、中学入試が人生の最終目標ではない。子供らしさを取り戻して、それぞれの有意義な中学校生活を始めて欲しいものだ。

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