厳密にいうと正確さを少々欠いてしまうが、簡単にいうと生物にはオスとメスしかない。人間の男と女は生物学的に異なっているので、それぞれの特性も大いに違うと考えているが、最近は男女平等という考え方が浸透してきているので、こういうことを軽々に口にしてはならない。
5年ほど前、ヒトはどこから来てどこへいくのか(1)、(2)、(3)、(4)、というシリーズで”遺伝子が持っている意志”のようなものについて考えた。でも、なぜ遺伝子が発生しなくてはいけなかったのかについてはいまだにわからない(遺伝子の定常性と進化 2013年11月14日)。アミノ酸ができて、遺伝子が生まれたということが、偶然の産物としてのある意味奇跡なのか、神様の意思なのかはわからないが病気の人がこれほど多いことを考えると、やっぱりただの偶然の産物なのだろうと思う。その偶然の産物が編み出した自己保存方法がオスとメスを分けてそれぞれに遺伝子を運ばせることだった。男には子宮がないので子供を産むことはできない。いつか人工子宮ができて女性が出産から解放される時が来るかもしれないが、それはまだずっと先のことで、今の私にはおそらく関係はない。
とにかく、人間が生まれてから数万年、今や世の中は急速に変貌し、男女の存在について根元的に考えなくてはいけない時代が到来している。ここ2、3千年の間、人間界ではオスが社会、特に政治を支配してきた。これは、ただ単に人間のメスよりもオスの方が力が強く、闘争心もあるから女性を虐げてきた結果なのかもしれない。このオスすなわち男性が世の中を支配しているから、いつまでたっても戦争が終わらないという説がある。だからいっそのこと政治を女性に任せてしまったらどうかという。仮に女性がうまくやれなかったとしても、今、こうして戦争が繰り返されているという状況がこれ以上悪くなることはないだろうという考えだ。
話は少々飛躍してしまうけど、そうなると男性って、いったい何のためにいて、何をやってるの?という疑問が生じてくる。遺伝子の意図としては、遺伝子本体を引き継ぐべく肉体を存続させるための存在が女性。遺伝子の多様性の維持のために存在するのが男性だが、ならなぜ女性よりも力を強くしたのかということになる。と、考えると男性には子育てをするために肉体を酷使する女性の変わりに、狩りなどの労働をするという役割があったのではないか。もっと他にも色々あるだろうけど、元々はこんなことをするために必要だったのが男性ということはできないだろうか。でも、技術の進歩によって男性のそんな役割の必要性が薄れてきたと考える人が増えてきたのかもしれない。
では具体的に考えてみたら