こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

後悔することを選ぶな

2019年02月13日 | 日々思うこと、考えること

入試・進学シーズン。多くの人が悲喜こもごも、新たな人生の展開に直面し、選択を迫られているところだろう。

自分の進路について悩んでいる人に伝えたいことがある、”自分の将来を他人に決めさせてはいけない!そうしたらきっとあなたは後悔するから”。自分の人生を決めるのは早いほどいい。でも、だからといって、幼稚園、小学校そして中学までの自己決定ができないうちに親によって決めさせられてしまうこれらの受験というのはある意味理不尽なことだと思う。それでも、孟母三遷の教えの通り、親も外の世界を何も知らない子供のためにある程度は子供の選択肢を用意してやらなくてはいけないわけで、中学受験あたりは子供と親のせめぎ合いともなり、なかなか難しい。

僕自身は親のいいなりに中学受験をしてなんとか滑り込むことができたものの、そこでの学業成績はパッとしなかった。僕の自己肯定感の低さはそこから始まった。上には上がいるということを早いうちから知ることができたのは悪くはなかったけど、そのこととひきかえにほかにもあったかもしれない多くの選択肢が失われてしまった。それらの選択肢が何だったのかはわからないけど、進学校という枠に入れられてしまった自分の人生はその時点で狭まっていた(もちろん逆もあったただろうし、多くの人は結果としてそちらの方がよかったでしょうというに違いない)。いずれにしても僕の多感な思春期は秀才たちへの劣等感とともに過ぎていった。多くの友人ができたし、体育祭など自分が輝く瞬間もあり、学校生活そのものを否定するつもりはない。でも、その後の選択肢は私の自己肯定感の喪失に拍車をかけた。

医者である父は、僕が医者になることを熱望していた。一体あれはなんだったのだろうと今でも思う。元々は絵描きか建築家になりたかったけど、家庭の事情でそれを諦めたと聞いた。それなら僕が僕の人生を選ぶことを認めてくれても良かったように思う。僕自身、今の生活を不幸だと思うことはないけど、僕が”僕が選びたかった人生”を選ぶことはできなかったことは不幸だと思っている。そのことで、僕はそんな考えに一生付きまとわれることになった。もしも、進路決定の時に父の言うことに反して別の道を選んでいたら、今頃僕は”やっぱりあの時、父の言う通り医学部を目指していたら”と、後悔していたかもしれない。その後悔と、現実の僕が思う後悔とを比較することはできない。僕は僕の人生を巻き戻すことはできないから、今の境遇に感謝し、前を向いて進んでいくしかない。人生とは一度しかないものだから。それでも、”あの時僕が進みたかった道”というのは、僕が死ぬまで夢見続ける道となるだろうし、”自分の人生を自分で掴むことができなかった”ということで、自己肯定感は一生低いままで終わってしまうかもしれない。

この前、テレビで”ララランド”という映画を観た。主人公たちはそれぞれの夢を半ば成し遂げ半ば掴むことができなかった。”もし、あの時ああしていたら”という人生はすべての人の心の中にある。自分の人生を実現しているように見える人であっても、全てを手に入れているわけではない。人間の全てを知ることなんて決してできないのだ。

”今、こうしなくては後悔する”という局面にあったら、”後悔したくない”と思って、そのための進路を取る勇気を持って欲しい。僕がこう思うのも、自分の人生が残り4分の1ぐらいになってやっとわかってきたことだから、このブログを読んでくれている若い人にどれだけ実感として伝わるかはわからない。でも、今が一番若くて、一番早くスタートできるのは今しかない、ということは忘れないでいてほしい。

寿命も延びたことだし

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