こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

あなたが幸せであってくれるのなら

2013年05月28日 | 日々思うこと、考えること
ここのところ、生きることの意義、存在しているということの意味、そういったことばかり考えている。決してヒマなわけではないし、仕事だらけの現実から逃避しようとしているわけでもない。適度に時間はあって、あれこれ考えてこのブログ(こんきも)の記事を書いている。
それでも、このところ生きることが難しいと感じてしまう。
より良く生きること、善良であること、ということが人間にとって、いや、私にとってきわめて困難であるということを実感してしまう。
ここのところ、私がそんなことばかり考えていることが妻にもわかったのだろうか、「大丈夫?」と声をかけられた。

さすがに、20年以上連れ添っていれば、その言葉に込められた意味はいちいち説明されないでもわかる(と思う)。妻は、(先日来の風邪のことではなく)私がいろいろな思いに捕らわれ、思いふけっていることについて、心配してそういってくれたのだろうと思う。

そう聞かれて、私は「(妻が)幸せであってくれるのなら、僕は大丈夫」と答えた。
今日が妻の誕生日だからといって、用意していた言葉ではなく、思わず口をついて出た言葉だった。


その時は、妻との会話であったから、妻が幸せであってくれれば、と思った。
けれども、それが、家族みんなでいる時であれば、そこにいるみんなが幸せであってくれれば、私は大丈夫。

さらに、職場や、地域の集まりであるようなところであればそこにいるすべての人の幸せであるし、さらには、国レベルであるし、国境を越えて地球上すべての人の幸せであろうし、さらには生き物すべてが幸せであって欲しい、と願う。
だけど、そういうことはなかなか実現できない。
結局、身の回りまでにしか視線は行き届かず、自分の手に負えないことの大きさに打ちのめされる。
そして、そこから立ち直ろうという気力が少しづつ弱くなっていることが悲しく思える。



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