ノー天気画家の本音生活 

これが私の生き方などとヤセ我慢するよりも、今日の風に流されましょう!

悠々自適生活の神髄に、感動する心があります

2014-09-03 16:43:26 | 犬たち

私は現役を引退して11年となり、「悠悠自適」の生活を満喫しています。

「悠々自適」の「悠々」とはのんびりと落ち着いた様をいい、「自適」とは自分の思うままに楽しむことをいう意味であり、人生後半になってようやく至福の時が来たのではと実感しています。
しかし人それぞれで、引退することに精神的ダメージを持ち、うつ病が深刻化している高齢者も多く、それはその疎外感が一因だとも言われています。

つまり現役を引退すれば、自動的に「悠悠自適」な生活を送れるというわけではなく、それなりの努力により実現できるものだと思っています。
つまり引退前と後の生活の変化に応じた意識改革こそ必要ではないかと思い、今回のブログでは「素晴らしい悠々自適生活」を送るための意識変革について考えてみたいと思います。
 

まず何と言っても現役時代の価値観を、引退後も引きづらないことです。

引退後は仕事からも離れ、仕事仲間からも疎遠になり、同時に子育ても終わり、これまで背負っていた義務や責任が劇的に軽くなる時でもあります。
ここで大切なことは、過去は二度と戻らいわけですから、何かを失ったと思わないことで、ようやく本来の自分を取り戻し、新しい世界を築く門出の時が来たと思うことこそ大切です。


そして最も大切なのは、感動する心を取り戻すことです。

みなさんも子供のころは、何かにつけて感動していた記憶があると思います。
しかしその後の人生は世間の荒波に鍛えられ、感情を表に出さないことが美徳として教えられ、そんな経験の積み重ねで感動のセンサーがすっかり錆ついてしまったのではないでしょうか。

幸福な生活とは、多くの感動に包まれた生活を指すと思います。
美しい風景に感動し、おいしい食べ物に感動し、人との出会いに感動し、暖かい話や人のやさしさに感動し、音楽や絵に感動する・・・。
悠々自適の生き方は人間回復の生き方とすれば、豊かな感動を持つことこそ、その神髄となるのではないでしょうか。
 

それでは感動のセンサーの錆を落とし、パワーアップするにはどうしたらいいのでしょう?

われらが子供時代に「情操教育」といって、女の子はピアノを習った、あの「情操教育」がそれに当たり、平たく言えば芸術にチャレンジすることをいいます。
なぜなら芸術は感動を鍛え、感動を表現するメディアだからです。
その最も手短といいますか、気軽にできるものとして、歌を唄うか、絵を描くことになるようです(強引な我田引水)。
風景画を描くとすると、出会った感動の風景を絵のテーマにするのですが、その絵を通して第三者にも感動が伝わるとすれば、それはなんとも素晴らしいことなのです。
それらの行為が感動のセンサーを鍛えて行くのです。・・・上手下手に関係なく、
だから悠々自適の生活の中に芸術を取り入れることをぜひお勧めしたいのです。

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上の絵は東京の下町風景を描いた絵です。

私は長い間東京に住み、そこで働いてきたのですが、田舎や地方の絵は数多く描きましたが、そんな身近な東京を描いた絵がほとんどありません。
それは東京を描きたくなかったわけではなく、何枚もチャレンジしたのですが、ほとんどの絵は「これは私のイメージする東京ではない!」「人さまにお見せするまでのレベルに達しない!」と却下してきたわけで、恥ずかしながら東京の絵はへたくそでお見せできなかったのです。
しかし私の素直な心が東京と対峙したとき、小さな発見がありました。
これまでおしゃれで時代の先端を東京のイメージと思っていたけど、私の探していた東京はそんな東京ではなく、人の温かみのあふれる東京ではないかということを思い当りました。
そして描いたのがこの絵になりました。

1枚絵を描くたびに発見があり、それに感動している私なのです。