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経営コンサルタントへの道

コンサルタントのためのコンサルタントが、半世紀にわたる経験に基づき、経営やコンサルティングに関し毎日複数のブログを発信

【日本庭園を知って楽しむ】1-1 日本庭園の定義 庭園とは何かを明確にしておきましょう

2023-11-23 12:03:00 | 【カシャリ!一人旅】 日本庭園を知る

 

  【日本庭園を知って楽しむ】 日本庭園の定義 1-1 庭園とは何かを明確にしておきましょう 

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 日本庭園の定義

 庭園とは、「計画的に築山・泉水を設け、樹木や芝生などをととのえた庭」と考えます。

 ニッポニカによりますと、庭園とは、「大自然に擬して人間がつくった小自然の景観」ということです。
 原初は、神を祀る儀式を執り行う場であったり、農作業などの実用の場であったりしました。文化が進むにつれて、人間と自然とのかかわりを求めて、住居を取り巻く環境の一つの要素として発達してきました。

 庭園は、英語では「garden」ですが、これはゲルマン語系の表現に共通する単語の語根としての「gher-」に端を発しているようです。これは、土地に関する支配ないし囲い込みを意味しています。
 これは、村落や部族の共同体の生活のなかで家畜を飼育する場所でしたが、のちに王や貴族のための蔬菜(そさい)、果樹、森林園をさすようになりました。
 それが文化の発達に伴って、実用目的から離れて花や緑樹を植え、憩いの場として装飾的な地割や植栽を施して、観賞を目的とした庭園へと発達してきたようです。

 日本で「庭園」ということばが使われるようになるのは、西洋文明が入ってきた明治40年(1907)ごろからです。
 一説には、近代の造園研究者である小澤圭次郎(おざわけいじろう)が英語の“garden:ガーデン”の訳語として用いたのがはじまりとされています。
 庭園の「庭」という字は、元来中国においては堂前の場所、つまり屋前の平坦な場所をさしました。日本に伝わったとき、一木一草一石もない広場(祭政を行う場所)を『日本書紀』では「庭(てい)」、『古事記』では「邇波(には)」「二八(には)」といいましたが、これは後世のいわゆる庭園とは、異なる者と考えるべきでしょう。

 ここでは、日本庭園とは、池や築山、石などの要素を元に形成される日本独自の造形空間を持つ庭園という考えでスタートします。今後、いろいろと学び、体験する中で、この表現に追加したり、修正・削除したりしながら、私なりの「日本庭園の定義」をまとめてみたいと考えています。
 その中には、庭園の分類、様式、時代なども加味していく必要があるかもしれません。例えば、室町時代の禅寺平庭、池庭林泉式、江戸時代の大名庭園に代表される書院林泉、寺院平庭、池泉回遊式、茶庭露地などが重要な要素となると考えます。
        
■ 日本を代表する庭園        
      都道府県別    

 

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

 

 

  ■ カシャリ! ひとり旅




ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【映像で見るカシャリ!ひとり旅】山形県出羽三山 1

2023-11-23 11:54:21 | 【カシャリ!一人旅】 おすすめ

【映像で見るカシャリ!ひとり旅】山形県出羽三山 1

 山形県出羽三山 月山八合目への道と弥陀ヶ原 泥炭でできた湿原です  https://youtu.be/7y2dGcBVUAQ @YouTubeさんから


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【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 11月22日 3-05 座右の銘を持つ生き方 ”道程” <高村光太郎>

2023-11-23 08:03:00 | 【老いぼれコンサルタントのひとり言】

 

  【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 11月22日 座右の銘を持つ生き方 ”道程” <高村光太郎> 3-05

 

 平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。

 この度、下記のように新カテゴリー「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」を連載しています。

 日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。

 紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。

【 注 】

 日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。

■【小説風 傘寿の日記】

 私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。

 

 名古屋で、コンサルタントを目指す人達の集まりがあり、【あたりまえ経営のすすめ】について、お話をする機会を得ることができました。

 下記のようなテーマでお話し、その後、白鳥庭園に案内していただきました。

 そこは、熱田神宮より、それほど遠くない位置にあり、園内ではどこを切り取っても絵になる素晴らしい庭園です。

 

◆ 05 座右の銘を持つ生き方 ”道程” <高村光太郎>

 ほとんどの人が、何らかの座右の銘をお持ちと思います。 

 私も、吉田松陰の「至誠」、上杉鷹山の「なせば成る」を始め、いくつかの座右の銘ともいえるような名言を、自分の生きていく指針としてきています。

 その中のひとつに、詩人・高村光太郎の「道程」があります。ここでは、「道程」について、ご紹介します。

  僕の前に道はない   僕の後ろに道は出来る   ああ、自然よ   父よ   僕を一人立ちにさせた廣大な父よ   僕から目を離さないで守る事をせよ   常に父の氣魄を僕に充たせよ   この遠い道程のため   この遠い道程のため

 「道程」とは、あるところにたどり着くまでの道のりや距離、行程をさしますが、光太郎は、「あるところ」という言葉を、「ある境地」、「目標」においていると考えています。すなわち、道程とは、自分の目標に近づく状態になるまでの期間・時間およびその過程を大切にする「完成までのみちのり」と解釈し、私の座右の銘として、日々を大切に生きるように努力しています。

 「廣大」は、広く大きいこと、「氣魄」は、激しい気力・精神力を意味しますので、強いこころを持ち、目標に向かって行くように鼓舞されていると思います。

 光太郎は、広大な自然を父と仰ぎ、その力に強い畏敬の念を持ち、それを自分自身の成長の鞭として、叱咤激励を自分自身に課し、一層高い所に進んでいこうという気魄を感じます。

 

■【今日は何の日】

  当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。

  この欄には、発信日の【今日は何の日】と【きょうの人】などをご紹介します。

   ■【今日は何の日】 11月23日 勤労感謝の日 いい兄さんの日

 

■【経営コンサルタントの独り言】

 その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。

 

■ 経営コンサルタントを長くやって行ける秘訣 b22

 

 このブログをお読みの皆様の中には、私が1970年代から経営コンサルタントとして活動していることはご存知と思います。

 しばしば「経営コンサルタントを永くやっていける秘訣は何ですか?」という質問を受けます。

 3つの要素がありますが、そのひとつが「内助の功と家庭円満に感謝する」という感謝の気持ちを大切にすることです。

 では、あとの2つは?

 その答を知りたい方は「料金を払ってください」です。<笑い>

 

 私が経営士・コンサルタントとして走り始めた頃、ある先輩から「独立コンサルタントとしてやってゆくには、“営業力”だ!」と言われました。

 いかに受注をとることがむつかしいのかということです。

 

 しかし、一旦顧問契約をしたら、全力投球をして、その顧問先との契約を長く続けることです。

 成果が出て来れば、顧問先が新たな顧問先を紹介してくれます。

 

 難しい経営理論をぶちまけるのも良いでしょうが、中小企業が最も苦手なことは「あたり前」を実行することです。

 「あたり前のことがあたり前にできる」ようにするだけで、中小企業の業績は上がってゆきます。

 

 たとえば「5S」ですが、人として、企業としてあたり前のことではないですか。

 5Sという、難しい理論ではないこと、それができるだけでも、業績が上がるのです。

 

 経営士・コンサルタントの業務というのは、クライアントさんのあたり前”創り”の支援をし、それを持続的に実行できるようにし、成果に結び付けられるように寄り添うことです。

 「教えてやるのだ」という上から目線では、契約の継続は困難です。

 

 次の”あたり前”テーマを、提供し続ければ、顧問契約は、半自動的に延長されてゆくのです。

 

 

■【老いぼれコンサルタントのブログ】

 ブログで、このようなことをつぶやきました。タイトルだけのご案内です。詳細はリンク先にありますので、ご笑覧くださると嬉しいです。

>> もっと見る

■バックナンバー   https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a8e7a72e1eada198f474d86d7aaf43db


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■【きょうの人】 1123 了誉上人 江戸小石川に伝通院を開創

2023-11-23 06:33:00 | 【話材】 きょうの人11月

 

  【きょうの人】 1123 了誉上人 江戸小石川に伝通院を開創

 

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

■ 了誉上人 江戸小石川に伝通院を開創


 りょうよ
 興国2年/暦応4年10月15日(1341年11月24日-応永27年9月27日(1420年11月3日)


 号は「酉蓮社了誉(ゆうれんじゃりょうよ)」である「聖冏(しょうげい)」は、南北朝時代から室町時代中期にかけての僧で、浄土宗(鎮西義)第7祖です。

 常陸国・椎尾氏の出身で同国瓜連常福寺の了実について出家しまし、太田法然寺の蓮勝に師事しました。浄土教を中心に天台・密教・禅・倶舎・唯識など広く仏教を修めてもいます。

 宗徒養成のために伝法の儀式を整備し、五重相伝の法を定め、神道・儒学・和歌にも精通し『古今集序註』『麗気記拾遺抄』を著しています。

 門弟に聖聡・了知などがおり、第8祖となった聖聡とともに、浄土宗鎮西義を教学面から興隆した人物として評価されています。

 江戸小石川に伝通院を、無量山寿経寺という名で開創したことでも知られています。

 慶長7年(1602)8月29日、徳川家康公の生母「於大の方」が75才、伏見城で逝去し、その法名を「傳通院殿蓉誉光岳智香大禅定尼」と号しました。この寿経寺を菩提寺としたことから「傳通院」と呼ばれるようになりました。

 家光の次男亀松君が葬られ、以来徳川幕府の外護を賜り、千姫の墓標もここにあります。

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

 歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

◆ 【今日は何の日】は、毎日発信しています。

 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b980872ee9528cb93272bed4dbeb5281

◆ 【経営コンサルタントのひとり言】

 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。 

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a0db9e97e26ce845dec545bcc5fabd4e

【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。


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◆【経営コンサルタントの独り言】 経営コンサルタントを長くやって行ける秘訣 b22

2023-11-22 17:03:00 | 【話材】 経営コンサルタントの独り言

 

  【経営コンサルタントの独り言】 経営コンサルタントを長くやって行ける秘訣 b22

 

 

平素は、ご愛読をありがとうございます。

経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うブログで、毎日複数回つぶやいています。

 

■ 経営コンサルタントを長くやって行ける秘訣 b22

 このブログをお読みの皆様の中には、私が1970年代から経営コンサルタントとして活動していることはご存知と思います。

 しばしば「経営コンサルタントを永くやっていける秘訣は何ですか?」という質問を受けます。

 3つの要素がありますが、そのひとつが「内助の功と家庭円満に感謝する」という感謝の気持ちを大切にすることです。

 では、あとの2つは?

 その答を知りたい方は「料金を払ってください」です。<笑い>

 

 私が経営士・コンサルタントとして走り始めた頃、ある先輩から「独立コンサルタントとしてやってゆくには、“営業力”だ!」と言われました。

 いかに受注をとることがむつかしいのかということです。

 

 しかし、一旦顧問契約をしたら、全力投球をして、その顧問先との契約を長く続けることです。

 成果が出て来れば、顧問先が新たな顧問先を紹介してくれます。

 

 難しい経営理論をぶちまけるのも良いでしょうが、中小企業が最も苦手なことは「あたり前」を実行することです。

 「あたり前のことがあたり前にできる」ようにするだけで、中小企業の業績は上がってゆきます。

 

 たとえば「5S」ですが、人として、企業としてあたり前のことではないですか。

 5Sという、難しい理論ではないこと、それができるだけでも、業績が上がるのです。

 

 経営士・コンサルタントの業務というのは、クライアントさんのあたり前”創り”の支援をし、それを持続的に実行できるようにし、成果に結び付けられるように寄り添うことです。

 「教えてやるのだ」という上から目線では、契約の継続は困難です。

 

 次の”あたり前”テーマを、提供し続ければ、顧問契約は、半自動的に延長されてゆくのです。

 

ドアノブ)

 

◆ ツイッターでのつぶやき 

konsarutanto

 

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【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 11月21日 渋沢栄一の別荘 飛鳥山鴻臚館

2023-11-22 08:26:00 | 【老いぼれコンサルタントのひとり言】

 

  【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 11月21日 渋沢栄一の別荘 飛鳥山鴻臚館

 

 

 平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。

 この度、下記のように新カテゴリー「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」を連載しています。

 日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。

 紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。

【 注 】

 日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。

■【小説風 傘寿の日記】

  私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。

 

 ちょっと空き時間ができましたので、写真集を開いてみました。庭園めぐりの旅を始めてからはまだ日が浅いですが、それ以前に撮りためた名所旧跡・寺社仏閣の写真は、全国各地の漫遊結果です。

 

◆渋沢栄一の別荘 飛鳥山鴻臚館

 

「インスタ映え」という言葉が市井を走っていますが、何も飾らない、ひとり旅の旅先で感じて、見て、カシャリとした写真を、動画としてお届けしています

 

 

東京  北区 飛鳥山 
  http://www.asukayama.jp/asukayama/as02/as02.html 

 飛鳥山は、東京都北区の南部に位置します公園です。1873年(明治6)の太政官布達により指定された日本最初の公園として知られています。

 日本橋から2里(約8キロ)という、日帰り可能な距離であった飛鳥山は、八代将軍徳川吉宗が1270本もの桜を植えて開放して以来の、水茶屋(湯茶サービス付き休息所)の設置を許可し、庶民の憩いの場となりました。上野・浅草・芝・深川、そして飛鳥山の5公園が、桜の名所として指定されました。時代により姿を変えつつも、飛鳥山公園は今も人々に親しまれています。

 富士山や筑波山の眺望も楽しめる上、付近には王子稲荷などの社寺や滝などの見どころもあり、四季を通じての絶好の行楽地です。

 園内には、紙の博物館、北区飛鳥山博物館、渋沢史料館の3つの博物館があります。この公園は、渋沢栄一翁が、初めは別荘として、後に曖依村荘(あいいそんそう)とよばれる邸宅としていました。
 

桜の季節の晩香廬
ツツジの季節も良さそうです。

東京北区 飛鳥山公園more ←クリック

 

 

■【今日は何の日】

 当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。

 この欄には、発信日の【今日は何の日】と【きょうの人】などをご紹介します。 

■【今日は何の日】 11月22日 小雪 いい夫婦の日 

 

■【経営コンサルタントの独り言】

 その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。

 

■ 鎖国政策と殖産 b21

 

「殖産」ということばは、あまり馴染みがないかもしれませんね。
 鎖国政策を転換し、欧米列強に勝つためには産業振興しなければなりませんでした。
 大隈重信は、開国五十年史「又諸国の大名が乱世にも殖産興業を勉励したるは」で、明治政府のあり方を説いています。
「殖産」とは「生産物をふやすこと。産業を盛んにすること。(広辞苑第六版)」と説明されています。
 その思想を若者にも定着させようと1884(明治17)年11月21日に、「商業学校通則」が制定されました。日本の産業教育制度が創設されたのです。
 今日では、IoTやAIなどを核に産業振興が推進されています。
 11月21日は、「インターネット記念日」です。

■【老いぼれコンサルタントのブログ】

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>> もっと見る

 

■バックナンバー
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【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 11月21日 渋沢栄一の別荘 飛鳥山鴻臚館

2023-11-22 08:03:00 | 【老いぼれコンサルタントのひとり言】

 

  【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 11月21日 渋沢栄一の別荘 飛鳥山鴻臚館

 

 

 平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。

 この度、下記のように新カテゴリー「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」を連載しています。

 日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。

 紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。

【 注 】

 日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。

■【小説風 傘寿の日記】

  私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。

 

 ちょっと空き時間ができましたので、写真集を開いてみました。庭園めぐりの旅を始めてからはまだ日が浅いですが、それ以前に撮りためた名所旧跡・寺社仏閣の写真は、全国各地の漫遊結果です。

 

◆渋沢栄一の別荘 飛鳥山鴻臚館

 

「インスタ映え」という言葉が市井を走っていますが、何も飾らない、ひとり旅の旅先で感じて、見て、カシャリとした写真を、動画としてお届けしています

 

 

東京  北区 飛鳥山 
  http://www.asukayama.jp/asukayama/as02/as02.html 

 飛鳥山は、東京都北区の南部に位置します公園です。1873年(明治6)の太政官布達により指定された日本最初の公園として知られています。

 日本橋から2里(約8キロ)という、日帰り可能な距離であった飛鳥山は、八代将軍徳川吉宗が1270本もの桜を植えて開放して以来の、水茶屋(湯茶サービス付き休息所)の設置を許可し、庶民の憩いの場となりました。上野・浅草・芝・深川、そして飛鳥山の5公園が、桜の名所として指定されました。時代により姿を変えつつも、飛鳥山公園は今も人々に親しまれています。

 富士山や筑波山の眺望も楽しめる上、付近には王子稲荷などの社寺や滝などの見どころもあり、四季を通じての絶好の行楽地です。

 園内には、紙の博物館、北区飛鳥山博物館、渋沢史料館の3つの博物館があります。この公園は、渋沢栄一翁が、初めは別荘として、後に曖依村荘(あいいそんそう)とよばれる邸宅としていました。
 

桜の季節の晩香廬
ツツジの季節も良さそうです。

東京北区 飛鳥山公園more ←クリック

 

 

■【今日は何の日】

 当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。

 この欄には、発信日の【今日は何の日】と【きょうの人】などをご紹介します。 

■【今日は何の日】 11月22日 小雪 いい夫婦の日 

 

■【経営コンサルタントの独り言】

 その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。

 

■ 鎖国政策と殖産 b21

 

「殖産」ということばは、あまり馴染みがないかもしれませんね。
 鎖国政策を転換し、欧米列強に勝つためには産業振興しなければなりませんでした。
 大隈重信は、開国五十年史「又諸国の大名が乱世にも殖産興業を勉励したるは」で、明治政府のあり方を説いています。
「殖産」とは「生産物をふやすこと。産業を盛んにすること。(広辞苑第六版)」と説明されています。
 その思想を若者にも定着させようと1884(明治17)年11月21日に、「商業学校通則」が制定されました。日本の産業教育制度が創設されたのです。
 今日では、IoTやAIなどを核に産業振興が推進されています。
 11月21日は、「インターネット記念日」です。

■【老いぼれコンサルタントのブログ】

 ブログで、このようなことをつぶやきました。タイトルだけのご案内です。詳細はリンク先にありますので、ご笑覧くださると嬉しいです。

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■バックナンバー
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■【きょうの人】 1122 公海 入滅 天海僧正の後継者

2023-11-22 06:33:00 | 【話材】 きょうの人11月

 

  【きょうの人】 1122 公海 入滅 天海僧正の後継者

 

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

■ 公海 入滅 天海僧正の後継者


 こうかい
 慶長12年12月12日(1608年1月29日) - 元禄8年10月16日(1695年11月22日)


 江戸時代前期の天台宗の僧で、展開の弟子。父は花山院忠長、母は本願寺教如の娘で、天海の没後に日光山貫主を継承しました。

 1620年(元和6年)天海僧正の門に入り、1643年(寛永20年)に、天海が没するとその法をついで東叡山寛永寺に住し、天台宗の総本山である比叡山・徳川家康を祀る東照宮のある日光山を管理下に置いて天台宗一宗を管領するようになりました。

 1647年(正保4年)に、僧正に任じられ、翌1648年(正保5年)には大僧正に就任しました。

 天海の遺志をつぎ山科(現在:京都市山科区)毘沙門堂を復興しています。まさに、師展開を尊敬する功績ですね。

 

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

 歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

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◆ 【今日は何の日】は、毎日発信しています。

 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b980872ee9528cb93272bed4dbeb5281

◆ 【経営コンサルタントのひとり言】

 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。 

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a0db9e97e26ce845dec545bcc5fabd4e

【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。


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◆【経営コンサルタントの独り言】 鎖国政策と殖産 b21

2023-11-21 17:03:00 | 【話材】 経営コンサルタントの独り言

 

  【経営コンサルタントの独り言】 鎖国政策と殖産 b21

 

 

二兎を追うブログ 

経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うブログで、毎日複数回つぶやいています。

 

 

■ 鎖国政策と殖産 b21

 

「殖産」ということばは、あまり馴染みがないかもしれませんね。

 鎖国政策を転換し、欧米列強に勝つためには産業振興しなければなりませんでした。

 大隈重信は、開国五十年史「又諸国の大名が乱世にも殖産興業を勉励したるは」で、明治政府のあり方を説いています。

「殖産」とは「生産物をふやすこと。産業を盛んにすること。(広辞苑第六版)」と説明されています。

 その思想を若者にも定着させようと1884(明治17)年11月21日に、「商業学校通則」が制定されました。日本の産業教育制度が創設されたのです。

 今日では、IoTやAIなどを核に産業振興が推進されています。

 11月21日は、「インターネット記念日」です。

 

(ドアノブ)

 

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■【経営コンサルタントのお勧め図書】 現場から見上げる企業戦略論

2023-11-21 12:03:00 | 【話材】 ビジネス関連

■■【経営コンサルタントのお勧め図書】 現場から見上げる企業戦略論

 「経営コンサルタントがどのような本を、どのように読んでいるのかを教えてください」「経営コンサルタントのお勧めの本は?」という声をしばしばお聞きします。

 日本経営士協会の経営士・コンサルタントの先生方が読んでいる書籍を、毎月第4火曜日にご紹介します。

■      今日のおすすめ

現場から見上げる企業戦略論 11c21』(藤本隆宏著 角川新書)

■      “現場の強さ”を認識した「企業戦略」を実現する経営が必要(はじめに)

 紹介本の著者は、日本は勿論アメリカ、ドイツをはじめとする欧州、中国、東南アジアなど、世界を股にかけて活躍する経営学者です。しかも、製造現場を中心に、世界の現場を観察し、経営理論を背景に、現在の日本企業の状況を、過去の長期の産業史の考察から捉え、近い将来の日本企業のあるべき方向について提言しています。 

 著者は、第二次世界大戦後の産業史を考察し、『冷戦期の東西分断、「プラザ合意」に端を発する円高、ポスト冷戦期における中国をはじめとした低賃金国の出現、日本のバブル崩壊の後の「失われた20年」などの時代を通じ、厳しい状況にさらされながら、現場は「苦闘」し、地道な改善を進め、結果として高い生産性、迅速性、柔軟性、品質を養って来た』と日本の産業における現場の強さを強調します。

 著者は加えて、利益確保、顧客満足、雇用確保の「三方よし」を目標とし、それを特徴にする良い経営者は、「現場指向企業」を目指し、「裏の競争力」(現場の能力構築競争)を長期的な「表の競争力」(価格競争力など)に繋げ、企業の成長を図ると主張します。つまり、良い経営者は「現場の流れ図」と「世界情勢の潮目から判断する企業戦略」が同時に頭に入っていると言います。

 著者は、さらに複雑化する“ややこしい”世界において、強い本社と強い現場の連携が不可欠と強調します。

 次項において、著者の具体的提言や参考になる産業分析をご紹介します。

 

■      近い将来の戦略策定のために客観的に認識したい「日本の産業の現況」

【初めて知る産業分析-Ⅰ「設計思想における『インテグラル型』と『モジュラー型』」】

 著者は、重さのある世界とない世界、情報空間(サイバー)と現場現物空間(フィジカル)、ICT層とFA(生産工程の自動化)層、これらをバランスよく繋ぎ、全体最適と全体進化を図るのが、21世紀の現代企業に求められる「デジタルものづくり」のあるべき姿であると主張します。

 あるべき姿を考える時に役立つのが、アーキテクチャ(設計思想)という考え方です。製品や生産設備などの人工物にはそれぞれのアーキテクチャがあり、それは①機能要素と構造要素(部品など)の関係が複雑に絡み合った「インテグラル(擦り合わせ)型」と②機能と構造が一対一対応でシンプルに対応する「モジュラー(組み合わせ)型」とがあり、人工物のアーキテクチャはこの2つの型の間のスペクトル(配列)のどこかに位置づけられます。

 モジュラー型の場合、機能・構造の一対一対応の結果、機能完結的な部品が多いので、これらを業界標準のインターフェース(結合部分)でつなげば、企業の垣根を超えた部品の組み合わせが可能になります。この場合を「オープン・モジュラー型」「オープン・アーキテクチャ」と言います。

 逆に、部品の擦り合わせや組み合わせの可能性が一企業内で閉じている場合を「クローズド・アーキテクチャー」と呼びます。「インテグラル型」はその一種です。

 現場の調整力やチームワークにおいて他国に勝る日本の優良な生産・開発現場は、インテグラル型で、過去に貿易摩擦を起こすほどに輸出競争力を維持しています。

 かつてのアナログ・ブラウン管テレビはインテグラル型として輸出競争力を有していましたが、デジタル化したテレビは高度な擦り合わせを必要としないモジュラー型に変化したため、日本の企業は競争力を失ってしまったのです。

 「インテグラル型」と「モジュラー型」という概念は、企業競争力・輸出力を考えるうえで、重要な概念です。

【初めて知る産業分析-Ⅱ「デジタル化を捉えるための三層アナロジー(類比)」】

 著者は、本社の戦略力が弱い日本企業は、オープン型での戦いを苦手にしており、アップル、アマゾンと言った「プラットフォーム盟主企業」になるのは難しいと言います。それではこのデジタル化時代に、日本企業はどこで戦ったらよいのかを考えるのに必要な概念が、「デジタル化を捉えるための三層アナロジー(類比)」です。

 著者は、モノづくりやサービスの世界における「デジタル化」を三層のアナロジーで捉えます。①「上空」のICT層(情報通信技術)②「地上」のFA層(現場)③ ①と②をつなぐ「低空」のICT-FAインターフェース層の三つです。

 「上空」のICT層は、今から「盟主企業」になるのは、難しい層です。

 「地上」のFA層は、現場力や技術力をコツコツ地道に積み重ねてきた日本やドイツが強みを持っている層で、世界的視野に基づく「グローバル能力構築競争」において、進化していく事で、引き続き存在感を示せる層と言えます。

 「低空」のICT-FAインターフェース層こそが、世界規模の主導権争いになる層です。著者は、日本企業に向けて、『それなりの蓄えは持っているのだから、アジアの国々を結ぶネットワーク標準作りで、日本の実力企業群が連携し、日本としてのグローバルな存在感を保ち、その上で欧米と連携・接続し、結果としていわば日米独主導で「低空」層におけるいわば「天下三部の計」(中国の三国時代の皇帝劉備に孔明が説いた戦略)に持ち込めれば上々だろう』と言います。つまり、まだ始まったばかりで、先は明確になっていないが、IBM(米)やシーメンス(独)が先行しており、日本もその一角に入らなければ、「低空」の制空権を失うと警告しているのです。

 三つの層の考え方は、「インダストリー4.0」(第4次産業革命)を正しく、実戦的に捉えるために重要な概念です。

【「グローバル能力構築競争」に勝つことが日本の勝機】

 著者は、全ての戦略にとって必要なことは、『「強い現場」と「強い本社」の連携』と再三主張します。さらに、『企業規模の大小にかかわらず、良い現場には「固有技術」とそれを市場につなぐ「ものづくりの流れの技術」があるが、競争がグローバルになる「グローバル能力構築競争」の時代には、この二つを高度に両立させなければその現場と企業は安泰ではない。特に「固有技術」に自信のある中小企業の場合は、それに安住せず、「良い設計の良い流れ」によって、顧客と結びつく「ものづくり能力構築」を進める必要が有ろう』と主張します。『「グローバル能力構築競争」が日本の勝機』はその通りです。詳しくは紹介本をお読みください。

【正しく理解したい「インダストリー4.0」】

 著者は、「インダストリー4.0」というよりは「インダストリー3.5」と言いたいと主張します。また、「IOT」ではなく「IfT」(Information from Things)と考えると主張し、「現場のモノから情報をとれ」が重要で、それを何処に流すか、どこに繋ぐかは現場判断、経営判断でインテリジェント化した「低空」層で行うことだと主張します。そこには、何か非連続のことが起こっている(革命)のではなく、今までの延長線の上に有るのだということを強調したいのだと思います。

 更に著者は、アメリカの「上空」企業に「地上」の優良企業が直接コントロールされないよう、「低空」の制空権の一角を占める(「天下三分の計」)ことが大切と主張します。このことも、詳しくは紹介本をお読みください。

 

■      近い将来、明るい日本経済を手にするためには(むすび)

 著者は、最後にこのように結びます。『今の日本の「良い現場」はポスト冷戦期(低賃金国の参入)に比べれば、悪材料が減っており、実際にその多くが徐々に浮上しつつある。これらの流れが長期の趨勢となり、製造業でも、非製造業でも「良い現場」「明るい現場」が増え、更に「強い現場」と「強い本社」の連携が成立すれば、2020年代に向けて、我々が今より明るい日本経済を手にする可能性は、決して小さくない。』

 

【酒井 闊プロフィール】

  10年以上に亘り企業経営者(メガバンク関係会社社長、一部上場企業CFO)としての経験を積む。その後経営コンサルタントとして独立。

 企業経営者として培った叡智と豊富な人脈ならびに日本経営士協会の豊かな人脈を資産として、『私だけが出来るコンサルティング』をモットーに、企業経営の革新・強化を得意分野として活躍中。

  http://www.jmca.or.jp/meibo/pd/2091.htm

  http://sakai-gm.jp/

【 注 】

 著者からの原稿をそのまま掲載しています。読者の皆様のご判断で、自己責任で行動してください。

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■【映像で見るひとり旅】 北海道 函館・トラピスチヌ修道院 心が洗われます

2023-11-21 12:03:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 映像で視る

■【映像で見るひとり旅】 北海道 函館・トラピスチヌ修道院 心が洗われます 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

 
 名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道 仏教 仏像
 
北海道  函館・トラピスチヌ修道院 

 https://www.hakobura.jp/db/db-view/2010/04/post-49.html

 

 日本初の女子観想修道院として1898(明治31)年に「厳律シトー会天使の聖母トラピスチヌ修道院」として創立されました。

 この修道院は、真ん中に函館市街地を挟んで、函館山がその対極に位置しています。やや高台に、ひっそりとたたずまいをしています。

 発足当時は、1893(明治26)年にパリ外国宣教会のアンドレ・ベルリオーズ司教が70ヘクタールの土地を購入して建てた旧孤児院を使用していました。

 1903(明治36)年、大嵐で木造の修道院は崩壊し、その2年後に、レンガ造り2階建ての本館正面棟の一部が完成しました。1913(大正2)年までに竣工した本館正面棟と聖堂は、1925(大正14)年に発生した火災で焼失するという被害に遭っています。

 教皇ピオ11世から義援金や各修道院からの寄付金が寄せられ、1927(昭和2)年に再建された聖堂が現存しています。煉瓦の外壁、半円アーチの窓などゴシックとロマネスクの混在するデザインが印象的です。

 

 修道女らは祈り、労働、聖なる読書を日課の3本柱に共同生活を送っています。祈りは3時半の起床から、19時45分の就寝までに一日7回行われます。

 生計を立てる収益事業として製造するマダレナケーキやクッキーは、修道院を訪れた際の土産物として人気です。

 立ち入ることができるのは前庭のほか、売店併設の資料室の見学が可能で、院内での生活や修道院の歴史などを紹介しています。2016年以降、定休日なしにオープンされています。

 トラピスチヌ修道院の前に市民の森があり、そこの売店のソフトクリームは有名ですので、食べてみるのもよろしいでしょう。

 森には、白樺の木もあり、北海道に来たという感動を得られます。

 

カシャリ映像でお楽しみください
https://youtu.be/wD6QxQFAx48

 

 

11 北海道
写 真
  札幌 支笏湖 定山渓温泉 洞爺湖 時計台 函館 函館ハリストス正教会 函館山 北海道神宮 北海道大学 北海道庁旧庁舎 藻岩山    
 
北海道
映 像

 

北海道札幌1  札幌 藻岩山 7分
札幌市内を一望でき、ロープウェイに乗って展望台へ。そこからの夜景はまた格別
北海道札幌2  北海道神宮 9分
北海道開拓を象徴する北海道神宮。円山公園に隣接し、三つの末社と共に北海道をささえる大神宮です。
北海道札幌3  北海道庁旧本庁舎 6分
北海道・札幌市を代表する「赤レンガ」は八角塔を有し、歴史的建造物ですので、いろいろな角度から眺めました。
北海道札幌4  北海道庁旧本庁舎前庭 5分
旧道庁舎「赤レンガ」だけでもすばらしのに、それを引き立てるだけではなく、主役にもなれる、四季を通じて楽しめる日本庭園
北海道大学1  北大構内を散策 7分
日本を代表する大学のひとつだけあって歴史や重みを感じられました。観光の視点から、北大を紹介します。
北海道大学2  豊かな水の北大構内 7分
庭園のような中央ローン、そこを流れるサクシュコトニ川、クラーク像などの見どころ
北海道大学3  北大ポプラ並木 7分
観光客にとって北大というと、花木園にあるポプラ並木ですが、大野池周辺も見逃せません。

 

 

 

カシャリ! ひとり旅

 


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【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 11月20日 15 プレゼントの選び方   A8

2023-11-21 08:03:00 | 【老いぼれコンサルタントのひとり言】

 

  【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 11月20日 15 プレゼントの選び方   A816 

 

 平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。

 私の後進として会社を託した竹根好助の経営コンサルタント起業経験や、その会社の日常業務、自分の思いなどを「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」として連載しています。

 日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。

 紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。

【 注 】

 日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。

■【小説風 傘寿の日記】

 私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。

 

 経営者・管理職の集まりに時々招かれますが、このような話をしました。

 

■ 15 プレゼントの選び方   A816

 

 1980年代に、今や世界的な有名人になっている方とお会いした時に、「先生、パソコンに関する本を書いていただけませんか」ということを言われました。

 内心では、これは素晴らしいオファーですと大変乗り気になっていました。即引き受けますと、あまりにも軽薄すぎるような気がしまして、「いくら経営コンサルタントといいましても、文系出身の私には、ハードルが高すぎます」と応えました。

 ところが、当時は、まだ一介のベンチャー企業の経営者に過ぎない彼が、「失礼ながら門外漢だからこそ、先生のような方に書いていただきたいのです」と、今日、彼が成功できる片鱗を見せてくれたのです。

 もちろん、お引き受けすることになり、門外漢の私が、PC関連の本や雑誌に数十本もの原稿を書くことに繋がったのです。


 さて、本件の首題の「プレゼント選び」というのは、私の最も不得意とするするところですので、これをテーマにして書いたり、話したりすることは避けてきました。

 しかし、不得意だからといい、逃げているだけでは、経営コンサルタントとして恥ずかしいことだと、かねてから考えていました。

 上述の出版の件ではありませんが、贈答のプロ・アドバイザーの視点とは異なる、オーソドックスすぎるようなことをお話ししても良いのではないかと、考えるようになりました。

 恥をかくことを承知で、書こうと思いつつも、なかなか筆が進みません。その種の本でも読めばヒントを得られるのでしょうが、それでは、上述の出版の精神である、「門外漢だから、よいのです」という発想に反してしまいます。

 この文章の読者には、大変失礼ですが、短いですが、思い切って書いてみますので、ご容赦ください。

 私は、海外でのビジネスの機会が結構ありましたので、お客様の自宅に招かれることがしばしばありました。外国の人ですと、日本的なものが喜ばれますので、数多く経験していますことから、あまり、苦もなく、日本酒だとか、扇子や箸などの小物などで、お茶を濁してきました。

 ところが、手持ち在庫がないのに、急に呼ばれて訪問することになりました。何かないかと、思案しながら、捜し物を始めましたところ、盆栽の本が目に入りました。たしか盆栽の種もあったはずと、それを探しましたところ、すぐに見つかり、それを持参しました。

 私自身は、盆栽に関する知識も経験も、本でザッと見る程度のモノしか持っていません。盆栽の種も、外国人への話のネタとして、買ったものを、ただ、しまっておいただけです。

 わずかな知識も本や種の現物が目の前にありますと、結構説明できるモノですね。大変喜ばれました。


 しかし、この様な、例外的な成功は、特に日本人同士ですと、何の役にも立ちません。ここでは、失敗談を通して、平素、心がけていることをご紹介します。

 私のクライアントさんのお一人から、招待を受けました。甘党であるということを聞いていましたので、季節の和菓子を持参しました。ところが、その社長さんも奥様も、ダイエット中で、反って迷惑をお掛けしてしまいました。

 また、別のケースですが、アルコールが好きな社長さんにお会いすることになったときに、たまたま海外出張時に購入したワインがありましたので、それを持参しました。ところが、その社長さん、願掛けの最中で、アルコールを断っていたのです。

 この両者に共通することは、私が持っていた顧客の好み情報は、いずれも古く、役に立たなかったということです。

 それ以後、顧客の嗜好品や趣味など、仕事以外の個人情報も常に最新のものにするように努力をし、多少なりとも、的外れを減らすことができるようになりました。

 

■【今日は何の日】

  当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。

  この欄には、発信日の【今日は何の日】と【きょうの人】などをご紹介します。

■【今日は何の日】 11月21日 インターネット記念日 産業教育記念日 世界テレビ・デー

 

■【経営コンサルタントの独り言】

 その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。

 

 ピザでカルチャーショック b20

 私が始めてアメリカに行ったときに、ランチにピザ屋さんに入った時のことです。

 一人切れだけでは申し訳ないと思って、二種類を注文しました。

 そうしたところ、あまりにも大きなピザが出てきたので、ビックリポンでした。

 もちろん、二切れのそれぞれ半分ほども食べられませんでした。

 家族旅行でアメリカに行ったときに、ピザ屋さんに入ったときのことです。

 ピザ職人さんが、生地をこね、それを平にのし棒でのばした後のことです。

 そのセンターに人差し指を当てて頭上より高く持ち上げ、グルグルと回し始めたのです。  遠心力で次第に薄くなり、直径が、50cmほどもあったのです。

 それを目の前で焼いてくれました。

 子供達は、眼を丸くしてその光景を見ていました。

 過去の失敗経験がありますので、注文は家族4人で一枚でしたが、食べきれなかったのです。

 

■【老いぼれコンサルタントのブログ】

 ブログで、このようなことをつぶやきました。タイトルだけのご案内です。詳細はリンク先にありますので、ご笑覧くださると嬉しいです。

◆【経営コンサルタントの独り言】  ピザでカルチャーショック b20

>> もっと見る


■【小説風 傘寿】老いぼれコンサルタントの日記 バックナンバー
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a8e7a72e1eada198f474d86d7aaf43db
 


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■【きょうの人】 1121 ■ 吉田松陰 長州藩士、思想家、教育者で、山鹿流兵学師範 ■ 一休宗純 とんちばかりの一休さんではない

2023-11-21 06:33:00 | 【話材】 きょうの人11月

 

  【きょうの人】 1121 ■ 吉田松陰 長州藩士、思想家、教育者で、山鹿流兵学師範 ■ 一休宗純 とんちばかりの一休さんではない  ■ 会津 八一 明治から昭和にかけての歌人・美術史家・書家

 

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

■ 吉田松陰 長州藩士、思想家、教育者で、山鹿流兵学師範


 よしだしょういん
 文政13年(1830年)8月4日(西?9月20日)、長州萩城下松本村(現:山口県萩市)に生誕
 安政6年10月27日(1859年11月21日)、伝馬町牢屋敷にて死刑が執行された。享年30(満29歳没)


長州藩士、思想家、教育者で、山鹿流兵学師範でもあります。明治維新の精神的指導者・理論者・倒幕論者として知られています。私塾「松下村塾」で、後の明治維新で重要な働きをする多くの若者に思想的影響を与えた人です。


 幕末の志士吉田松陰は、海外事情を学ぶため、鎖国の禁を犯し、密航することを決意しました。

 長崎に来航したロシア船への便乗を佐久間象山に薦められ急行しましたが間に合わいませんでした。翌嘉永7年(1854)3月、来航したペリー艦隊の後を追って、弟子金子重輔と下田へ来ました。

 機をうかがい、夜中に下田市柿崎より小舟でペリー艦隊ポーハタン号に漕ぎ着け、渡米を懇請しましたが、ペリーに拒絶されてしまいました。

 壮図むなしく破れた松蔭等は、潔く自首し、拘禁された場所が、下田市宝光院長命寺(廃寺)でした。

 さらに平滑の獄に移され、同年4月11日は、江戸伝馬町の獄に送られました。

 松蔭等が、下田に滞在した期間は、24日の短いものであり、また海外渡航は失敗に終わりましたが、その行動は幕末開港の歴史に欠くことのできない重要な一ページを刻むものであり、後に与えた影響は大きかったといえます。(【Wikipedia】および下田市史蹟紹介立て看板をもとに作成)

  吉田松陰関連ページ

 

■ 一休宗純 とんちばかりの一休さんではない


 いっきゅうそうじゅん
 明徳5年1月1日(1394年2月1日) - 文明13年11月21日(1481年12月12日)


 室町時代の臨済宗大徳寺派の僧で、誰もが知っている説話のモデルとしても知られています。

 出生地は京都で、出自は後小松天皇の落胤とする説が有力視されています。

 母親の出自は不明ですが、皇胤説に沿えば後小松天皇の官女で、その父親は楠木正成の孫と称する楠木正澄と伝えられています。三ツ島(現・大阪府門真市)に隠れ住んでいたという伝承があり、三ツ島に母親のものと言われる墓が現存します。

「洞山三頓の棒」という公案に対し、「有漏路(うろぢ)より無漏路(むろぢ)へ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」と答えたことから、華叟より一休の道号を授かりました。

 正長元年(1428年)、称光天皇が男子を残さず崩御し伏見宮家より後花園天皇が迎えられて即位しましたが、この即位には一休の推挙があったといわれています。

 戦災にあった妙勝寺を中興し草庵・酬恩庵を結び、後に「一休寺」とも呼ばれるようになりました。

 名言「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」

 巷では、「正月や冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」といいますが、やはり[門松]がただしいようです。

 

■ 会津 八一 明治から昭和にかけての歌人・美術史家・書家


 あいづ やいち、會津 八一
 1881年〈明治14年〉8月1日-1956年〈昭和31年〉11月21日)


 日本の歌人・美術史家・書家で、雅号は、秋艸道人、渾斎です。

 歌碑が、奈良・薬師寺の西塔のふもとに建っています。

 新潟県に生まれ、中学生の頃より『万葉集』や良寛の歌に親しみました。東京専門学校(早稲田大学の前身校)に入学し、坪内逍遙や小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)らの講義を聴講し、その影響も受けたようです。

 この頃すでに「東北日報」の俳句選者となり、卒業論文にはキーツをとりあげ、英文科卒業しました。卒業後は、私立有恒学舎(現:新潟県立有恒高等学校)の英語教員となって新潟に戻り、多くの俳句・俳論を残しました。

 1908年に最初の奈良旅行をおこなって奈良の仏教美術へ関心を持ち、またこの旅行が俳句から短歌へと移るきっかけともなりました。

 坪内逍遙の招聘により早稲田中学校の英語教員となり上京、早稲田カンレンの教育者として、英語だけではなく美術史関連の講義もおこないました。

 研究のためにしばしば奈良へ旅行し、1933年に仏教美術史研究をまとめた『法隆寺・法起寺・法輪寺建立年代の研究』(東洋文庫)が刊行され、この論文で文学博士の学位を受けました。

 妥協を許さぬ人柄から孤高の学者として知られ、津田事件に巻き込まれたりもしています。

 同僚であり歌人でもある窪田空穂とは二十数年にわたって親交を結ぶ友でした。

 終戦後新潟に戻り、1951年に新潟市名誉市民となりました。

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

 歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

◆ 【今日は何の日】は、毎日発信しています。

 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b980872ee9528cb93272bed4dbeb5281

◆ 【経営コンサルタントのひとり言】

 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。 

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a0db9e97e26ce845dec545bcc5fabd4e

【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。


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◆【経営コンサルタントの独り言】  ピザでカルチャーショック b20

2023-11-20 17:03:00 | 【話材】 経営コンサルタントの独り言

【経営コンサルタントの独り言】 ピザでカルチャーショック b20

平素は、ご愛読をありがとうございます。

経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うブログで、毎日複数回つぶやいています。

 

■ ピザでカルチャーショック b20

 私が始めてアメリカに行ったときに、ランチにピザ屋さんに入った時のことです。

 一人切れだけでは申し訳ないと思って、二種類を注文しました。

 そうしたところ、あまりにも大きなピザが出てきたので、ビックリポンでした。

 もちろん、二切れのそれぞれ半分ほども食べられませんでした。

 家族旅行でアメリカに行ったときに、ピザ屋さんに入ったときのことです。

 ピザ職人さんが、生地をこね、それを平にのし棒でのばした後のことです。

 そのセンターに人差し指を当てて頭上より高く持ち上げ、グルグルと回し始めたのです。  遠心力で次第に薄くなり、直径が、50cmほどもあったのです。

 それを目の前で焼いてくれました。

 子供達は、眼を丸くしてその光景を見ていました。

 過去の失敗経験がありますので、注文は家族4人で一枚でしたが、食べきれなかったのです。

ドアノブ)

 

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■■【健康・環境】 懸念が進む北極圏の温暖化 12a13

2023-11-20 12:03:00 | 【知り得情報】 日常生活を豊かに

■■【健康・環境】 懸念が進む北極圏の温暖化 12a13

 2005年2月16日に「京都議定書」が発行しましたが、グローバルに見回しても一向に地球温暖化への気運が高まっていません。それどころか、自国の事情を背景に、自国擁護の動き優先で、一向に温暖化防止への動きが見られません。

■ 懸念が進む北極圏の温暖化

 だいぶ前のことになりますが、NHKの室山哲也解説委員が、北極の異変について警告していました。

 すでにいろいろなメディアで報じられているように、今年の夏は、北極海氷面積が観測史上最小を記録しています。当然、これは地球全体の環境にも深刻な影響を及ぼすでしょう。

 1980年の北極と比較しますと、大きく衰退し、今までの最少の2007年と比べても日本の面積2個分がさらに減少しているという深刻さです。

 北極の氷は「多年氷」(越年氷)と「一年氷」(一年でとける氷、平たく割れやすく溶けやすい)があります。室田氏の懸念は、ことしはほとんどが一年氷であることです。効率の質が悪化したといえます。

 皆さんもご覧になったことがあると思いますが、ホッキョクグマが氷の上に乗ったまま漂流したシーンがあります。これがその現象の代表的なものです。

 南極の場合は、北極ほど深刻ではないですが、北極は氷の厚みが南極に比べて極端に薄いことです。

 原因は地球温暖化ですが、それに他の要因が重なって、加速度的変化が起きているといいます。

 温暖化で氷の一部に隙間ができますと、そこがきっかけになって氷が移動を始め、それが海流に乗って回転運動となります。その結果、それがポンプの役割をして、あたたかい太平洋の海水を北極海の奥深くに呼び込み、氷ができにくい傾向になっていっていると、室田氏は解説しています。

 北極と南極の氷は、太陽光線を跳ね返し、一種のラジエーターの役割を果たしていて、地球の気候を安定させています。北極の氷がなくなりますと、地球全体の気候のバランスが崩れ、予期せぬ影響が懸念されるのだそうです。

 また北極海の海水が温められますと、海流も強くなります。すると、周囲の環境や生態系にも影響をあたえるといいますので、日本への影響も考えられるわけです。

 一方で、北極海に氷の隙間ができることで、すでに「北極航路」の開拓をすすめている国もあるようです。

 今まで南回りの長距離を航海していた船が、進路を変えて北極航路を利用しますと、燃料も節約でき、温室効果ガスの排出も減るといいます。温暖化が、皮肉なメリットを引き起こすことになります。

 北極圏には資源もあります。石油が世界の1/4、天然ガスが世界の30%といわれているのです。各国がこの資源に目をくらませ、資源の収奪競争をはじめますと、今までと同じように大量に化石燃料を燃やすことになり、地球温暖化をさらに悪化させることが懸念されます。

【 コメント 】

 砕氷船を持つ日本が独自研究をし、北極海の異変の影響を科学的に調査するなど、国際貢献をして、日本の存在感を高めることも必要ではないでしょうか。


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