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【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業4 迷いの始まり 4 新しいミッションはCIAのスパイではなかった

2024-03-22 12:03:00 | 【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業4 迷いの始まり 4 新しいミッションはCIAのスパイではなかった

 

■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 

 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。それを私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。

【これまであらすじ】

 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 商社の海外戦略に関わる人事案件なので、角菊貿易事業部長の推薦する三名を元に、準備は水面下で慎重に進められていました。その中に竹根の名前が含まれていることは、社員の誰もが思いもよりませんでした。
 討議を重ねた結果、福田社長は、海外戦略にも関わる高度な人事の問題なので、専務と社長に一任してほしいと言って三者会談を終えることにしました。しかし、後日、角菊事業部長は、最終的に、自分が推薦した佐藤君ではなく、竹根に決まったと聞かされます。

 一方で、角菊は、自分の意図とは異なる社長の結論に納得がいかないのですが、かといって、それをあからさまにすることはしませんでした。他方、竹根は角菊からの内示なしに、社内には竹根に白羽の矢が立っていることを知りました。
 竹根に何の説明もなく、ニューヨーク駐在の人事発表が発表されました。海外経験のない竹根は戸惑うばかりで、どの様な準備をしたらよいのか途方に暮れていました。そのような時に、直接の上司である池永が再びアドバイスをしてくれ、準備を始めました。しかし、あっという間に出発の日が来たのです。

 空港で家族や長池の見送りを受け、初めての飛行機に搭乗。シートに座っても落ち着きません。次々と出てくる機内食にも戸惑います。初めてのカルチャーショックを味わう竹根です。

 雲と海だけの長いフライトの末、ようやく地上が見えてきました。サンフランシスコの上空から滑走路に向かうのです。着陸の不安、着地後の安堵、アメリカという新天地への期待などが入り混じっていました。着陸したときの安堵感は束の間、自信があった英語のリスニング力も吹き飛ぶほどで、空港内のアナウンスが聞き取れないのです。

 ようやくニューヨークに着き、竹根にとって初めてのアメリカ生活が始まりました。まずは、アパートさがしとニューヨーク事務所さがしです。幸い、日本人の不動産屋さんに出遭うことができ、順調に決めることができました。しかし、家具や内装などでは、カネ次第で、アメリカ時間で動くことに竹根は打ちのめされそうになりました。

 アメリカ生活、最大のショックが訪れました。戦後25年も続いてきた1ドル360円が崩壊したのです。そのような経済環境にもかかわらず、一方で竹根の胸にはひとりの女性が悩まし続けています。しかし、会社は次々と新たなミッションを命じてきます。

【最新号・バックナンバー】
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/c39d85bcbaef8d346f607cef1ecfe950


【過去のタイトル】
 1.人選 1ドル360円時代 鶏口牛後 竹根の人事推理 下馬評の外れと竹根の推理 事業部長の推薦と社長の思惑 人事推薦本命を確実にする資料作り 有益資料へのお褒めのお言葉 福田社長の突っ込み 竹根が俎上に上がる 部下を持ち上げることも忘れない 福田社長の腹は決まっていた

 2.思いは叶うか 初代アメリカ駐在所長が決定 初代所長の決定に納得できず 竹根に白羽の矢 竹根の戸惑い 長池係長のアドバイス 急ごしらえの出張準備が始まる 

 3 アメリカ初体験  いよいよ渡米、最初のカルチャーショック キュンとしたりトロトロしたり 心細いサンフランシスコ上空 生まれて初めて外国の地に降り立つ ニューヨーク事務所開設準備が始まる ニューヨークで稼働開始 ニューヨークの時計はカネ次第で回る速度が変わる!? ニューヨーク生活もカネ次第

 4 迷いの始まり 初めてのアテンドも吹き飛ぶ事態発生 これって“恋”? 新しいミッションはCIA??? 

 

■■ 4 迷いの始まり

 私の会社を引き継いでくれた竹根が、経営コンサルタントになる前の話をし始めました。思わず私は乗り出してしまうほどですので、小説風に自分を第三者の立場に置いた彼の話を、友人の文筆家の文章を通して、ご紹介します。

◆4-4 新しいミッションはCIAのスパイではなかった

 本社からの新しいミッションは、CIAではなかった。そのように勘違いをすること自体おかしなことで、竹根は自分の愚かさに笑いこけてしまった。
 CAIというのは、Computer Aided Instructionの略語でコンピュータ支援教育のことである。一九五〇年代、アメリカの心理学者B・F・スキナーは、オペラント条件づけの原理に基づいたプログラム学習を提唱し、これを具現化するものとしてメカニカルなティーチングマシンを試作したのが始まりという。その数年後にはN・A・クラウダーによって、学習者ごとに学習内容が可変となる枝分かれ型プログラムによるティーチングマシンが提唱された。(Wikipedia)
 ニューヨーク市役所の教育局を訪問したが、CAIを実際に行っている学校は知る限りにおいてはニューヨーク市にはないという。そこの職員はニューヨーク州の教育局に行くことを薦めてくれた。オールバニという町にあるというが、どの辺にあるのかもわからない。調べているうちに、ニューヨーク州の州都であることが解った。ニューヨーク市と周辺の地図を頼りに探したた結果、ニューヨーク市の周辺にはないことがわかった。ニューヨーク州の地図でようやく見つけたが、距離感がつかめない。ニューヨーク市から三百キロも北へあがったところにある。冬であるので車で行くには雪や路面凍結で、竹根の左ハンドルの運転未熟さでは心許ない。

 電車で三時間、オールバニに着くが、雪が積もっていて徒歩ではとても移動できそうにない。タクシーに乗ると、数分でニューヨーク州庁舎に着いた。オールバニ群全体でも人口が十万人にも達しないところであるので、オールバニの町そのものは数万人の小さな町であろう。大ニューヨークの州庁舎であるから大きな建物を想像していたら、あまりにもかわいいので、観光客よろしく庁舎の写真を撮った。説明書きによると、一八九九年に竣工したと記されているだけで、他のことは解らない。
 あまりの寒さに電光板の寒暖計を見ると摂氏換算でマイナス十五度程度になる。写真を撮る数分間で、身体が急激に冷えるのがわかった。
 担当者は、非常に親切な人で、ニューヨーク市の職員とは大違いである。日本からのミッションということもあり、親切に情報を提供してくれたが、やはりニューヨーク州ではCAIをとりいれている学校は、高校までを含めてもないという。
 そこでもらった資料をもとに、ワシントンや隣の州のニュージャージーなど、あちこちを訪問したが、結局見つからなかった。しかし、ユニークな教育をやっていて、日本からのミッションを受け入れてくれる学校がいくつか見つかり、本社にレポートすることができたのは、二月の初めであった。
 情報の収集というのは、一カ所でつかめた情報をもとに、次のところへ情報が繋がり、それがまた別のところへと発展する。情報収集というのは連鎖的であることに気がつき、後に経営コンサルタントとなってから、この手法が役に立つことを竹根はそのときは知るよしもない。

  <続く>

■ バックナンバー

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