旧国鉄の宮原線(みやのはるせん)は、大分県の久大本線恵良駅から熊本県の肥後小国駅迄を結んでいましたが、1984年に全線が廃止されました。その廃線跡の一部を訪れましたので、その様子をまとめました。
この路線の起点は久大本線恵良駅となっていましたが、運転系統としては一つ先の豊後森駅迄全列車乗り入れて、肥後小国駅⇔豊後森駅の運転となっていた様です。この路線は、盲腸線(起点、終点のどちらかが、他の路線に繋がっていない行き止まりの線路。)となっていて、人口の少ない地域を走っていた事から、廃線につながりました。
この時の様子をまとめたフォトチャンネルも新規追加致しました。
≪1≫北里駅(きたざとえき)跡
この日は雨が降ったりやんだりの、あまりすっきりしない天候でした。この駅では当時のホームが残されていました。



≪2≫肥後小国駅(ひごおぐにえき)跡
盲腸線の終着駅です。駅構内にはレールの一部や駅名票、転轍機(てんてつき:ポイントの切り替えを行う)、腕木式信号機等が残されていました。現在は付近一帯を道の駅として整備されています。


この路線の起点は久大本線恵良駅となっていましたが、運転系統としては一つ先の豊後森駅迄全列車乗り入れて、肥後小国駅⇔豊後森駅の運転となっていた様です。この路線は、盲腸線(起点、終点のどちらかが、他の路線に繋がっていない行き止まりの線路。)となっていて、人口の少ない地域を走っていた事から、廃線につながりました。
この時の様子をまとめたフォトチャンネルも新規追加致しました。
≪1≫北里駅(きたざとえき)跡
この日は雨が降ったりやんだりの、あまりすっきりしない天候でした。この駅では当時のホームが残されていました。



≪2≫肥後小国駅(ひごおぐにえき)跡
盲腸線の終着駅です。駅構内にはレールの一部や駅名票、転轍機(てんてつき:ポイントの切り替えを行う)、腕木式信号機等が残されていました。現在は付近一帯を道の駅として整備されています。



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