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気ままな撮影紀行

鉄道写真をメインに航空機や一般の
風景写真等の撮影に出かけました。

菜の花畑と桜 ・ 藤原宮跡(奈良県)

2025年04月12日 | 旅行風景(近畿地方)
奈良県橿原市にある国の特別史跡の藤原宮跡です。ここは平城京へ遷都するまでの16年間(694年から710年)大極殿や朝堂院といった国の儀式や政治を行う施設、天皇の住まい内裏などもおかれる、日本の首都の性格を持った場所でした。ここでは3月の末頃から菜の花畑の黄色が広がり始めてましたが、桜は未だ チラホラ 程度の状況でした。

日を改めて今月 4月5日に撮りに行った時は140万本の菜の花畑は満開になって、桜も8分咲き程度になっており一面に黄色と桜のピンクが広がり、美しい光景を堪能してきまし。










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鍵・唐古遺跡史跡公園(奈良県)

2025年03月30日 | 旅行風景(近畿地方)
奈良盆地を南北に国道24号線が通じており、その国道沿いで奈良盆地の中程に弥生時代にあった環濠集落遺跡が整備されて、広大な公園が広がってます。遺跡の発掘調査では土器や各種遺物が発掘されています。発掘された土器には楼閣が描かれていて、公園の中央に遺跡のシンボルとして復元されていました。

集落を取り囲むように一部が復元された環濠に橋が架かっていて公園に入っていきます。写真の右奥の建物が復元された楼閣です。




公園中央には江戸時代に造られた農業用のため池「唐古池」があります。池の周囲には桜の木が多数植えられていて、桜の季節には大変美しい桜並木が広がっています。




奈良県と大阪府の県境にある、二上山方向に太陽が沈みかけました。


唐古池の東側にも広大な広場が有って、環濠が復元されてました。写真奥に “枯れ木” が並んでますが、これは全て桜並木です。この撮影をしたのは冬場でしたので、少し寒々とした光景が広がってました。




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平城宮跡歴史公園 朱雀門(奈良県)

2025年02月14日 | 旅行風景(近畿地方)
奈良平城宮跡歴史公園の朱雀門です。
“ 水面に映る朱雀門 ” !!?? と言いたいところですが朱雀門前の朱雀大路・朱雀門ひろば周辺には、この様な大きな水面はありません。平城宮跡歴史公園の公式ホームページにこの様なアングルでの写真が掲載されてましたので、どこからどの様にして撮られたのか大変興味がありました。

朱雀門に向かって左側に『天平つどい館』が有って、その横に休憩用のベンチが設けられてました。そのベンチは “石?” で出来ており座る面はピカピカに磨かれて鏡のようになってます。平城宮跡へは何度も訪れて写真を撮ってましたが、全く意識してませんでした。先日このベンチの所で一人の方が、ベンチの所にカメラを接近させて写真を撮られてたのを見て「何を撮られてるのかな?」と疑問に思いました。

その場所から朱雀門方向を見ると、まさしく気になってた初めて見る光景になってました。ただ狙う角度が微妙な調整が必要で、何度も失敗を重ねた結果何とかゲット出来た1枚です。
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紅葉の東院庭園・平城宮跡(奈良県)

2024年12月08日 | 旅行風景(近畿地方)
平城宮跡の東側に張りだした部分で日本庭園の出発点とされる庭園が復元されました。ここでは天皇や皇族が宴会や儀式を行ったとされる、いわば迎賓館ののような場所だったと考えられてます。(撮影:2024年12月6日)

庭園内敷地へ一歩足を踏み入れたら早速、紅葉になった大きな木が目に入りました。敷地内には複雑な形の池が有って、周囲にはいくつかの建物が復元されてます。




池の周囲を反時計回りで進みます。復元された一番大きな中央建物の正面に来ました。




この平城宮跡へは何度か撮りに訪れてますが、今年は紅葉の時期がかなり “後ろ倒し” になってるんですね。12月に入ってから、こんな紅葉になってる光景は見た記憶はありません。




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天理軽便鉄道 廃線跡(奈良県)

2024年10月14日 | 旅行風景(近畿地方)
世界遺産の法隆寺の最寄り駅として、JR関西本線の法隆寺駅があります。戦前迄は現在のJR法隆寺駅南側のロータリー付近から “新法隆寺駅” を起点として別の線路が天理市内迄延びて、天理教本部への参拝する信徒の輸送を目的に、1915年に路線距離は約9Kmで営業が開始されてます。

開業時の軌道幅は 『ナローゲージ』(特殊狭軌線:762mm)で、蒸気機関車が走行してました。ご参考迄に新幹線や主要大手私鉄の線路幅は、1.435mm の標準軌となっています。

路線は新法隆寺駅から現在の近鉄橿原線の平端駅(ひらはたえき)を通って、天理市内迄を結んでます。
戦時中の1945年2月には不要不急路線として位置づけられ、新法隆寺駅 ⇔ 平端駅 間が運休となって、1952年(昭和27年)廃止されました。ちなみに平端駅から天理駅までは現在の近鉄天理線として残されています。




新法隆寺駅から少し北東の方向に行った所の池に、廃線跡の築堤が残ってました。この上を小さなSLが走ってました。


池を完全に分断する様に走行してましたが、途中には築堤が切れて橋脚跡のレンガ積みの遺構が見えます。


写真の左端をJR関西本線の列車が通過して行きます。


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