脱定年幻想 勢古浩爾を読む
以前この方の本を一度読んだことがあった、定年に関する本でした。
お金がなくても自由に生きる
もういいではないか。世間の目を気にする歳でもない。
「おれはなにをするのかなあ」に「なにもしなくてもいいのだ」
という選択肢をいれてもいいと思う。
ただし仕事を辞めても、お金の軛だけはついてくる。
お金の軛以外はほとんどのしばりはすべて観念である。
しばられない自由を得るためには、観念そのものを破砕すればいいのである。
「俺だって定年後は何もしたくないよ、腐るほど金があればそうするよ」
という人がいるかもしれない。
それはだめな自由である。お金がないのに、自由に生きるのがいいのである。
本文にある言葉で・・・
幸せにしばられない
楽しい老後を送りたいと考えるのなら、同じことである、それはたやすく
楽しい老後を送らなけらばならないに転化する。
そうでない自分は他の人と比べて負け老人と思ってしまえれば元も子もない。
楽しみたいとか楽しまなければとなると、どうしてもさもしい感じがする。
どうも楽しいという言葉は薄っぺらいのである。
人生は一度きりなのだからという言い方もさもしいがだから楽しまなければ
損だというふうになると、さもしいの二乗という気がして黙って勝手に
楽しんでいろよと言いたくなる。
なんだか楽しさ競争をしてるようでもあり、私だっていっぱい楽しいことは
あるんだねというように意地をはってるようでもある・・・
みんな人生楽しまなければ損だ症候群に陥っているように見える。
後悔しない人生はあさましい・・・
ぼんやり・・・
小さな公園のベンチでもいい、コーヒー店でもいい。鎮守の森の木洩れ日
のなかでもいい・・・
ともかく、ぼんやりを体験してみるとこと
一番いいのは風の吹き抜ける静かな場所に座り、背を伸ばし、肩の力を
抜いてみることだろう、深呼吸をする・・・
定年後いろいろとやりたいことがあるけれど・・とりあえず定年したら
旅にでる・・日本半周ぐらいの旅に車で出るかと考えている
そして週3日ー4日のアルバイトをするかと思いながら、少し山に登り
街道を歩き、お寺参りをして、花の写真をとって、本を読んでと
考えているけど・・結構欲まみれかもしれない(笑)