「日々、キャリア」降矢一朋の気付きメモ日記!

日常の自分が感じた「?」や「!」な事を書き留めたサイトです。

公平に、平等にって言うのを勘違いしている人も多い気がする

2011年09月09日 | Weblog
就職活動で学歴や特定の学生だけ選別して云々の不平不満を声を荒げて
ぶちまける学生もたまにいるし、社会人でも同じ様な類の方は案外多い。

しかし、厳密に判断すると本当に公平に平等に行っているとすればそれは
かなり厳しい印象を与えてしまうのではないでしょうか?

例えばボクシングなんかは良い例だと思いますが、あれは格闘技の最たるもので
体格の違うもの、体重の違いは非常に大きなハンデとなりますから厳格に体重を
計測して各階級の戦う資格を審査しています、これはあくまでも平等で公正な
基準の下に競技としてお互いの条件を同じにして戦うという事だと思います。

でも、「就活」ではその基準が一見曖昧で採用する側の計測箇所も統一されて
いませんから、何を出せばよいのか分からないので、現時点で差のある学歴差別を
問題にするケースが多いのですが、でもこれは少しおかしい部分も出てきます。

一生懸命勉強して頑張ったのだから、その評価はされて良いと思いますし、
何もしなかったとは言いませんが、努力の劣る人が基準を自分の低い所に
設定しろと言うのは少し不条理な気がします。

どこの世界でも欲しいのは良いものが欲しいし、それを出来るだけ安く、早く
自分のニーズに近いものを欲するのは当然の気がします。

自由競争の社会ですから、そこで何を武器にして戦うのかを明確にしないから
判断しやすいペーパーテストの結果だけで判断しがちですが、それだけで人すべてが
分かるとは誰も考えていません、しかし現実はそんな役に立たない様なペーパーテスト
でも真剣に取り組んでくれる人の中に、仕事も一生懸命取り組んでくれる人が
多く含まれるという統計学的なデータと過去の実績があるから行っているのでは
ないでしょうか? 逆に文句を言う人は反発して仕事に一生懸命取り組んでくれる
比率が低く現れる傾向があるのかも知れません。

テストだけで見ている訳では無いけど、そのテストの受験態度さえも良くなければ
人柄を評価する際の影響は結構大きいと思われますが如何でしょうか?

私自身はそんなにペーパーテストが良くなかったので美術というクリエイティブな
分野で得点を稼ごうと思いましたが、大事なのはどこでもその熱意を動かす気持ちと
体力、行動力というエンジン部分ですね、後の車体やパーツは案外何とでもなるし
法律という枠の中では自由に構成できるものです。

巷に色々な車が走っている様に、乗る人とのマッチングという事でお互いが満足して
走っている姿こそが平等で公平な自由な姿だと思いますし、一車種、一色だけの
同じ車が走っている姿は危ない国だと思いますしね・・・



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