先日新聞を見ていたら、板垣退助のことが出ていた。今年世間の話題をさらった坂本龍馬とどうもほぼ同じぐらいの年の生まれのようだ。
福山雅治の龍馬がかっこいいので、今年は龍馬、龍馬であるが、土佐出身で現代の民主主義の基となる自由民権運動等から考えてみると板垣退助の方が影響が大きいともいえる。
ところが板垣退助は歴史家の研究対象となるとしても、小説にする人がいないためか、あまりとり上げられない。もっとも紙幣の人物像に取り上げられていたから彼の影響が大きいことを世の人はすでに知っているのであろう。
退助が民権運動をしていて、暴漢に襲われたときの言として「板垣死すとも、自由は死せず」は有名である。この板垣の気概とか見識がしっかりしたものであったことがちらっとだが、この言葉から窺われる。
この板垣は土佐の上士の出身だったらしい。そこが龍馬とは違うのだが、ドラマには龍馬と退助との交流は描かれてはいなかったようだから、まったく交流がなかったのかもしれない。
上士と下士はいつかもこのブログで書いたが、山内家の家臣団が上士で、元の長宗我部家の家臣団が下士だった。そして、その長宗我部家の家臣の系列の人の16代目の子孫が松山の近郊の山の中に住んでおり、その人と最近知り合いになったと7月か8月のこのブログで書いた。
その16代目の当主は松山の卸売市場に勤めて居られる。そういうことを知ると歴史は現在につながっていることを実感する。
ごく最近になって龍馬を世間に知らしめた、新聞の連載記事の書が岩波文庫になって今月か出たか来月かに出るようだが、それまでは龍馬のことを世間的には知られていなかったというのが真相らしい。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」のテレビドラマ化で、昨年末から松山も観光ブームの恩恵を少し受けているが、今年の龍馬伝で、いまはしばらく高知県には行かない方がいいというくらいの人出らしい。
テレビの龍馬伝では薩摩と長州からも最後ごろには龍馬は必ずしも好ましい人物と思われていなかったような節々が見られた。主戦派の西郷隆盛や桂小五郎からはあまり快くは思われていなかったという風である。
そして、NHKの龍馬伝は国内内戦を避けたかった平和主義者としての龍馬という描像をつくろうとしているかのようである。本当のところを私は知らない。だが、歴史家はその点について異論があるのかもしれない。