物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

インターネットエクスプロラー(IE)からの投稿

2016-07-23 17:31:55 | 日記
この半年か7~8か月だと思うが、IEからのブログへの投稿ができなかった。これはどうしてだかわからない。

どうやってブログに記事を書いていたかというと、メールに来た一年前の記事をクリックしてそのページを呼び出し、その画面の「記事を書く」をクリックして投稿画面を出してそこから投稿していたのである。

というのは、IEから投稿画面を呼ぼうとしても呼び出し中になってしまい、なかなか投稿画面が出なかったのである。これはウンドウズ10をダウンロードした時のどこか修正個所があったのかもしれないが、修正しなかったので、こんな具合になってしまい、ブラウザーとしてのIEが使い物にならなくなっていたのである。

最近ようやくこの画面呼び出しが長時間かかるということがなくなったので、またIEがまともに使えるようになった。

ブラウザーとしてはウインドウズ10ではIEではなく、edgeになっていると新聞で読んだからかもしれない。ときどきedgeを使うようになっている。

しかし、使い方がわからないところがあって、edgeよりもまだIEの方が使い勝手がいい。しかし、いずれはedgeに移行しなくてはいけないだろう。


書評の難しさ

2016-07-23 12:00:41 | 日記
ときどき本を送呈されるので、その本の書評を書くことがある。しかし、書評は難しい。

書評したつもりが、自分の力や見識を問われることになる。または自分の本の読み方の浅さを痛感させられたりする。武谷三男はあまり書評をしなかった。もっとも彼の書評が皆無ということではないが、あまり多くの書評をされた方ではないと思う。反対に彼の書は多くの人から書評されたと思う。

彼は自分の実践が大事だと思っていたので、あまり書評を頼まれることを好まなかったのかもしれない。もちろん、若いときには書評をいくつかしているけれども。

書評においてはいいところだけではなく、悪いところも指摘しておかなければならない。だが、いいところの指摘は割合簡単だが、悪いところの指摘をどう書くのかはちょっと難しい。悪いところが反面で、実はその書のいいところであったりする場合には特にそうである。

自分がどのように読むのかは、経験としてわかるが、では他の読み方がないのかということになるとある書の読み方は一通りではない。それは人によってどうしても経験や観点がちがってくるからである。

また、無責任に書評をする人もあるかもしれないが、やはりある程度責任をもてるものでなくてはならないだろう。