物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

武谷三男著作目録(第5版)

2016-07-12 12:11:31 | 日記
武谷三男著作目録(第5版)がほぼ完成した。まだ、数日手元に置いて見返すことにする。

私は慌て者だし、人間としては緻密な方ではないので、このように安全のために時間をかけた方があぶなくないのである。

著作集目録の初版がでたのは2005年だと思うので、5版が出るまでに11年かかったことになる。この著作目録は本になった者だけを対象にしているので、雑誌等に投稿された書籍に収録もされていない、論文やエッセイを集めた、リストは別につくらなければならない(注)。

もっとも普通の意味での学術論文とかは別にすでに「武谷三男業績リスト」がある。これも第3版まで出されているが、ごく最近になって第4版の編集が必要とされることになったとはこのブログですでに述べたかもしれない。

いずれにしてもそのどちらも『素粒子論研究・電子版』に投稿をするつもりである。

(注)新聞とかへの寄稿はなかなか見つけにくいが、雑誌への寄稿は国会図書館の検索が役に立つのだが、これには記載されていない情報も論文リストには収録したいと思うと、国会図書館の検索はとっかかりにすぎない。だが、それにしても国会図書館のサーチが大いに役立つことはまちがいがない。そろそろそういう広範な論文リストをつくらなければならないときが、来ている。

(2019.4.19付記)
現在では武谷史料研究会等で雑誌や新聞に掲載された論文やエッセイがされつつあり、国会図書館の目録以外に実物にお目にかかることができるようになっている。だが、武谷の書いたこれらの資料は膨大であり、その目録は部分的なものはつくられているものの包括的なものはまだないと思う。それらをつくることは労多くして功は少ないのだが、いつかは挑戦してみたい。

よくわかるときとあまりわからないとき

2016-07-12 11:46:29 | 日記
これはドイツ語で話している人のいうことがよくわかるときとあまりわからないときとがあるということだ。これはどうしてなのか。

どうも思考のスタイルとかその人が話すときに使われる語彙とかにもよるのであろう。発想がすぐに理解できるときもあれば、まったく理解できないときがある。

理解できないときは結局字幕に頼るのだが、これは映画なんかでもそうである。急に英語がどんどん聞こえるときにはその一連の言葉がわかることもまれにときどきあるけれども、大体が映画が字幕でも聞き取れないことの方が多い。

映画などはドイツ語での映画を見ることはほとんどないので、見るのはたいていは英語のドラマである。それでも何年英語を聞いているのかもうわからないくらい長年なのだが、なかなか聞き取れない。

これは外国語によらない。物理や数学の本を読んでもその発想がわからなくて、煙にまかれたようになることがある。
朝永の『量子力学II』(みすず書房)のはじめの方を必要に迫られて読んでいるのだが、そこの箇所は自分流には理解できたが、元のテキストに則した理解ができなかった。

それで、数日、または1週間くらい考えていたが、本の筋にしたがってようやく理解ができた。私は理解が遅い方なので、いつも時間がかかる。もっとも自分流の理解の方がわかりやすいのではないかと思ったりしている。

だが、テクストの導き方から外れてしまうのが難点である。