物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

『ファインマンに叱られたよ』

2016-07-13 10:25:35 | 日記

『ファインマンに叱られたよ』と会った途端に言われた。先ほど講演をされていた、Mi. Kobayasi先生の一言である。このとき K 先生は中間子国際会議50年の招待講演で中間子論研究を回顧した講演をされたのだが、どうも話がおもしろくなりそうだなと私が思った矢先にそのセッションの議長さんから講演時間の超過で講演を終わりなさいと知らせが入った。

このときの議長がファインマンさんと素粒子論の研究者の間ではYYさんといえば、すぐにわかる、ある優れた研究者であった。残り時間を示す紙切れに YY 博士は5分と書かれたらしいが、ファインマンさんがバツの印を入れられて1分となっていたらしい。この辺は K 先生の言である。

それでしかたなくK 先生は講演を終えられたのだが、会議の参加者である日本人の私には当時の事情をもうすこし聞きたいような気がしたものだった。

事前の組織委員会との打ち合わせでは十分に時間をとって話をして下さいとのことだったらしいが、K 先生は日本語で講演をされており、その直後にその部分の英訳をどなたかが読み上げるという方式で講演が進行していた。それが思いのほか講演時間をとらせることとなった。それでファインマンがいらいらとして議長権限で講演時間の超過で講演を打ち切らせたらしい。

この残り時間を知らせた紙切れが K 先生にファインマンに叱られたと感じさせたようだ。この話はもうご当人の K 先生も亡くなられているので、他のところでも K 先生がもし同じことを他の方に話しておられなければ、私しか知らないことである。

その後になって、ファインマンさんは自伝の一つでこのときのことを述べておられた。もちろんファインマンさんは K 先生の名前など挙げておられないし、中間子50年の国際会議のときの話だとも書かれてはいなかったと思う。しかし、自伝のその部分を読んだときに K 先生から聞いた話をありありと思い出した。

ファインマンさんは時間の制限があるのだから、他の人にも発表の時間を与えなければならないと書かれていた。それはそれでまったくの正論である。だが、どうもそれが講演の仕方によって予想外の時間がかかったこととか、組織委員会は K 先生に中間子論研究についての十分な回顧の話に時間を与えるつもりだったらしいとか。そこら辺が組織委員会の意図と実際の時間経過との行き違いがあったと思われる。

現在ではファインマンさんも亡くなり、もちろん K 先生も亡くなってしまった。それで単に歴史的事実として私の記憶にかすかに残っているだけである。

十年以上にわたって、このブログを書いているので、すでにこの事実を私自身がブログのどこかに書いているかもしれない。だが、多分このことを書いたのは今回がはじめてではないかと思う。それは K 先生にとってあまり名誉なことではなかろうと私が書くのをためらったことにある。

時間的にいえば、中間子論50年(Meson 50)は1985年のことであり、それから30年以上が経過したので、歴史的な事実として記録しておいてもいいかと思うようになった。

なお、K 先生は私が E 大学に勤めるためにご紹介・推薦をしてくださった方であり、私にとっては昔風の言い方で申し訳ないが、ご恩のある方である。私は先生の門下生でも、K 大学の出身者でもないのだが、そういう打ち明け話をして下さるくらいに親しくして下さった。