神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

本村田圃3

2018-05-26 06:23:45 | 幡ヶ谷支流

 本流に戻り新橋から再開します。新橋上流には→ 「東京近傍図」にも描かれた本村水車がありました。代々幡村の村長だった並木代右衛門持ちで、明治22年(1889年)の記録には、「水輪一丈五尺、臼六個(一斗張)、右水車ハ幡ヶ谷村字本村北玉川上水樋口代田村ヨリ係ル用水路ニ於テ従来許可ノモノニ有之」とあります。大正中頃には廃止され、前回UPの→ 「大正10年第二回修正」には描かれていません。

 

Honmura3

    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

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    1. 新橋から再開です。このあたりで前回の右岸流を左手に分岐していたことになります。

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    2. この右手に回し堀があり、本村水車が稼働していました。

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    3. 左手は本町小学校跡地です。本町東小学校、本町中学校と共に、平成24年に小中一貫の渋谷本町学園に統合されました。  

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    4. 地蔵橋です。右写真は右手方向で、この通り沿いに次回テーマの左岸流が合流していました。 

 <地蔵橋>  → 「幡ヶ谷村絵図」で、大宮八幡道が氷川神社に向かう途中、架けられている古くからの橋です。橋のたもとには酒呑地蔵が祀られていました。宝永5年(1708年)の建立で、酒によって丸太橋から落ちて亡くなった若者を供養するため、村人によって建てられたと伝えられています。最近まで当地に祀られていましたが、現在は中野通りに面した清岸寺境内にあります。なお、橋の架かる大宮八幡道は、「幡ヶ谷風土記」(昭和53年 堀切森之助編)では国分寺街道となっていて、幡ヶ谷氷川神社、雑色多田神社を経て大宮八幡、さらには、国分寺、府中方面に向かう古道でした。(地蔵橋にあった酒呑地蔵は→ こちらで、清岸寺境内の酒呑地蔵は→ こちらでどうぞ。)