神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

甘泉園

2018-05-11 06:12:48 | 神田川5

 面影橋下流の右岸段丘にある甘泉園公園は、元は徳川御三卿の一つ、清水家下屋敷の庭園でした。大名庭園のお約束通り、池を中心に築山を配した回遊式で、庭内の湧水がお茶を入れるのにかなっているというので、「甘泉園」の名が付けられました。明治後半から昭和にかけて、相馬家、早稲田大学の所有を経て、昭和36年(1961年)、早稲田大学、水稲荷神社間の所有地の交換によって、水稲荷神社の社地となります。その後庭園の大半を東京都が取得し、現在は新宿区立の公園として公開されています。

 

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    ・ 甘泉園前  新目白通りから(地名ではなく、本来の)高田馬場方向のショットです。坂の中腹右手の茂みは手前の低いところが甘泉園、奥は水稲荷神社境内の高田富士のものです。  

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    ・ 甘泉園公園  昭和44年(1969年)開園、公園面積14235平方メートル、開園時間は午前7時から午後7時(11月から2月は午前7時から午後5時)、入場料は無料です。 

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    ・ 甘泉園公園  段丘斜面中腹に水源が設けられ、池に流れ落ちる構造になっています。かってはここから水が湧き出していたのでしょうか。 

 <山吹の井>  「江戸名所図会」は「七重八重花は咲けども・・・・」の古歌にまつわる、太田道灌の伝説の地、「山吹の里」を「高田の馬場より北の方民家の辺をしか唱ふ」としたうえで、その付近の「三島山」に言及しています。「同所民家の後園にあり。古松四五株繁茂せる樹蔭に三島明神の禿倉あり、・・・・此山岸に少しばかりの甘泉あり。是を山吹の井と呼べり」 三島神社は水稲荷が移転する以前から当地にあり、「新編武蔵風土記稿」の収録する下戸塚村の字、三島上、三島上の由来となった神社で、現在は水稲荷神社の境内社となっています。その三島神社の祀られた山岸にあった甘泉は、→ 「江戸名所図会 / 山吹の井」にも描かれていますが、近所の洗い場となっていた風なので、大名庭園に取り込まれる以前の様子なのでしょう。