神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

田端堰

2017-04-04 06:23:01 | 善福寺川3

 春日橋のすぐ下流に堰があり、左岸に用水堀を分岐していました。善福寺川流域では最大規模(およそ18ヘクタール)を有する田端田圃を灌漑していたため、「杉並の通称地名」(平成4年 杉並区教育委員会)によると「田端堰」と通称され、また、「荻窪風土記」(昭和57年 井伏鱒二)にも釣りの穴場として度々登場、「入沢別荘(後の荻外荘)の下手のドンドン」と呼ばれているところです。なお、田端田圃はその名の通り田端村に属していましたが、現行の住居表示では荻窪3丁目となり、昭和33年(1958年)竣工の荻窪団地(目下UR都市機構の「シャレール荻窪」に建て替え中)の敷地となっています。

 

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    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

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    1. 分岐した直後の水路跡は、50mほどの細長い公園、荻窪第二児童遊園なっています。

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    2. 一般道路の幅広歩道となった直後、右手に車止めの路地が見えます。本流との連絡水路跡です。

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    3. 対岸は界堀の合流地点です。このラインが下荻窪と田端の村境でしたが、現行の住居表示には全く反映されていません。

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    4. 左手は荻外荘跡地の一部を整備したもので、最近公開されました。 

 <荻外荘>  「荻窪風土記」にも書かれていた荻外荘(てきがいそう)は、左岸段丘斜面に位置していて、昨日UPの→ 写真の左端にその先端を見せているのも、荻外荘の敷地にある松の林です。元は大正天皇の侍医だった入澤達吉博士の別邸でしたが、昭和12年(1937年)に公爵近衛文麿の別荘となり、元老西園寺公望によりそう命名されました。文字通り荻窪の郊外の意と思われます。同年に第一次近衛内閣が成立し、日中戦争から第二次大戦に至る過程で、荻外荘が第二の官邸の役割を担うことになり、マスコミ報道を通じて全国区の知名度になりました。