天水田圃を灌漑していた水路をたどり、三本あるうちの真ん中のものの続きです。その先端が青梅街道に向かっていることから、「杉並の川と橋」(平成21年 杉並区郷土博物館)では、「千川用水を分流したと思われる」と書いています。ただ、文献にその記載はなく、街道沿いの雨水の排水溝だった可能性も捨てきれません。なお、この水路の先端部分は、現行の住居表示ではまったく無視されていますが、下荻窪村と田端村(明治に入り、井荻村大字下荻窪と杉並村大字田端)の村境と重なってるのも特徴です。
- ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)
- 1. 前回の続きで、建物に挟まれたコンクリート蓋ですが、途中で通り抜けできなくなります。
- 2. 迂回した先で見つけたもので、1.からは左折、右折のクランクになっているようです。
- 3. ここも迂回して見つけたものです。この先開渠の排水溝が断続的に続きますが、通り抜けできません。
- 4. 読書の森公園に向かいます。公園の整備に伴い、その西縁に沿っていたものは撤去されたようです。
- 5. 右手は荻窪体育館です。青梅街道まで100mほどですが、この先の痕跡は不明です。