神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

田端右岸

2017-04-14 06:00:39 | 善福寺川3

 下荻窪、田端の村境近くに戻り、田端村の右岸を灌漑した田用水を追います。この右岸流は元々、環八通りに架かる荻窪橋付近にあった薪屋の堰で分岐したもので、両村の境を流れる悪水堀(界堀)も合流していました。さらに、→ 「田端村絵図」で見るように、山神社下の堰からの合流も得て、田端村右岸の字大ヶ谷戸の水田を灌漑していました。なお、山神社は「新編武蔵風土記稿」に「小名大ヶ谷戸にあり、此所の鎮守なり」と書かれています。松渓中の東隣に当たる荻窪2-4にありましたが、明治末に田端神社に合祀されました。

 

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    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

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    1. 松渓橋の手前です。→ 「段彩陰影図」に見るように、右岸段丘が最も迫っているところで、台上に山神社が祀られ、その下に堰が設けられていました。

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    2. 分岐直後の水路跡は失われていて、松渓橋の一つ南にあるこの道路から再開です。

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    3. 右カーブの連続で東から南に向きを転じるところです。

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    4. 右カーブを抜け、ほぼ直線で西田端橋方向を目指します。なお西田は杉並区成立時の行政区分の名残で、旧田端村の西半分を占めていました。 

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    5. バス通りを越えます。右写真は西田端橋方向で、ここで本流に戻る水路を描いている地図もあり、道幅の様子からもそう推測できます。