天水田圃を灌漑していた水路の三本目は、→ 「段彩陰影図」の西側の谷頭からのもので、こちらが本来の主流だったようです。→ 「田端村絵図」には、青梅街道ではなく下荻窪村方面からの水路と水田が描かれています。隣村となるため絵図からは切れますが、谷頭には人工的な池が掘られていたようで、「杉並の通称地名」(平成4年 杉並区教育委員会)は「江戸時代に四丁目二二、二三の低地に直径約五メートルの池二ヶ所を人工的に掘り、湧水を得て下流低地に水田を造成した。今の大田黒公園北側である」と書いています。
- ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)
- 1. 前回の合流地点に戻り、左折して水路を含んで幅広になった道路を西に向かいます。
- 2. 左手は区立太田黒公園です。音楽評論家の大田黒元雄氏の屋敷跡地にあり、谷筋の起伏を利用した→ 回遊式庭園が見所です。
- 3. 公園前の道路を越えます。右写真は南側からのショットで、谷筋が横切っているのが分かります。
- 4. 車止め、カラーブロックの遊歩道がワンブロックあった後、狭い路地に連続します。
- 5. 右折後、一般の道路に突き当たって終了です。「杉並の通称地名」の書いている(荻窪)4丁目22、23番あたりです。