「畑多く田少なし・・・・民家百八軒、土性はすべて野土なり、天水場なれば旱損の患あり」 これも「新編武蔵風土記稿」の一節で、新堀用水に関する解説などで、よく引用されるところです。なお、「東京府志料」の数字で畑111町余、田は12町6反ほどなので、確かに「畑多く田少なし」で、その少ない田の70%以上を新堀用水に依存していました。「杉並近世絵図」(平成5年 杉並区教育委員会)に収録された村絵図の一枚は、他に高円寺や氷川神社の北側及び青梅街道の南側を水田とし、各々「宮田」、「南八ッ田」と書き込んでいます。前者は→ 「東京近傍図」にも描かれた左岸から桃園川に合流する小支流を、後者は同じく「近傍図」の中央下端に描かれた池を水源とする、こちらは善福寺川の一支流を利用していたものと思われます。
- ・ 「高円寺村絵図」 成立年代不詳の「高円寺絵図」(首都大学東京蔵「堀江家文書」)を元に、ブルーの用水、薄いブルーの水田を中心にイラスト化したものです。
- ・ 桃園川緑道 環七通りを越えるところです。越えた先で左岸から合流する小支流が、「宮田」の用水となっていました。
- ・ 新鏡ヶ池 天羅山真盛寺境内にあるこの池から発し、善福寺川に合流する小支流が「南ハッ田」の用水となり、また小沢の地名由来との説もあります。
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