神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

区画整理2

2016-10-03 06:09:38 | 桃園川2

 高円寺区画整理組合は大正12年(1923年)に発足、17年の歳月を経て昭和15年(1940年)に完了しましたが、桃園川の改修はその初期に行われています。下の地図に重ねたのは大正14年(1925年)の「杉並町全図」で、数条の流れがオレンジ線で示した馬橋、高円寺境で一本にまとめられています。昭和6年(1931年)、遅れて開始された馬橋地区の区画整理は、阿佐ヶ谷からの 流れを一本にまとめて高円寺に引き継ぐ、アダプターの役割を担いました。左右から合流する支流を含め、すべて馬橋地区内で本流に戻っているのはそのためです。

 

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    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

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    1. 馬橋の次は内手橋です。内手は杉並村(のち杉並町)大字馬橋の小字でした。

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    2. 内手橋と東橋の間です。阿佐ヶ谷から数回に分けて追って来た左岸流が合流していました。

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    3. 東橋を越えます。右手からは新堀用水が合流、左手からも小支流の合流がありました。

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    4. ここも左手から小支流の合流があります。馬橋、高円寺の村境を画するものでした。

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    5. 八反目上橋です。杉並村大字高円寺の小字が由来ですが、ここに合流していたのは新堀用水の右岸流です。