神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

村境の水路

2016-10-19 06:43:34 | 桃園川2

 桃園川の本流に戻ります。新堀用水の合流地点と同じ東橋から八反目上橋にかけて、逆の左岸側からも二本の並行する水路が合流しています。「杉並近世絵図」(平成5年 杉並区教育委員会)には馬橋村絵図が6枚収録されていますが、そのすべてに新堀用水と向き合う形で本流に合流する短い水路が二本描かれ、その間は狭いながら水田になっています。→ 「段彩陰影図」には、「迅速測図」に描かれた一本の水路を書き込んでいますが、谷筋の先端は明らかに二股に分れていて、各々別個の水源をもっていたものと推測出来ます。

 

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    ・ 「杉並町全図」(大正14年 1/5000)  東多摩郡(のち豊多摩郡)杉並村は明治22年(1889年)に高円寺、馬橋、阿佐ヶ谷、天沼、成宗、田端六ヶ村が合併して成立、杉並町となったのは大正13年(1924年)のことです。  

 中央を縦断している太点線は馬橋村と高円寺村の村境で、地図の当時では同じ杉並町大字馬橋と大字高円寺の境です。馬橋自体が二分され、消滅した現行の住居表示からはまったくわかりませんが、今回の水路のうち東側のものと一致しており、かっての村境がどこなのかのおおよその検討はつきます。注目は上掲地図に描かれたこの境の前後の水路の改修具合で、高円寺側は現行通り、単線かつ直線になっているのに対し、馬橋のほうはまったくの手つかずです。高円寺地区の区画整理の開始は大正13年(1924年)、馬橋は昭和6年(1931年)なので、この境を挟んで区画整理のビフォー&アフターになっているわけです。

 

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    ・ 東橋  左岸方向のショットです。ワンブロックで道路の幅が狭くなる、これまでと同じパターンで、並行する二本のうちの西側のものがここで合流していました。

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    ・ 水路跡の道路  上掲写真奥の道幅が狭くなっているところです。なお、水路はこの奥から流れ、道路の右手を並行していました。