神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

新堀用水5

2016-10-11 07:28:26 | 桃園川2

 石橋湧水路の合流地点に戻り、新堀用水の先に向かいます。合流地点から下流は既存の用水路を改修、利用したので、ここからが天保11年(1840年)に開削した、本当の意味での新堀用水ということになります。高低差を得るために、権現道(現パールセンター)に向かって切通しており、「杉並風土記」(昭和62年 森泰樹)に収録された聞き取りによると、阿佐ヶ谷駅の出来た大正末ころまでは、篠竹や茅の生い茂る深い崖になっていたそうです。なお、この区間が馬橋児童遊園となったのは昭和39年(1964年)です。→ 「昭和33年第二回修正」では未だ開渠なので、その間に暗渠化したのだと推測できます。

 

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    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

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    1. 石橋湧水路との合流地点に戻り、馬橋児童遊園を改めて西に向います。

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    2. 人工的な開削を思わせる区間で、ほぼ直線で百数十メートルを見通すことができます。

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    3. 今でも特に青梅街道に近い南側は、切り立った崖面になっていて、切通しの痕跡を残しています。

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    4. パールセンターに突き当たります。右写真は左手からのショットで、600mほど進むと阿佐ヶ谷駅に出ます。

 <権現道>  元は青梅街道から、神明宮、世尊院前を経由して阿佐ヶ谷村を縦断する通りで、→ 「阿佐ヶ谷村絵図」→「東京近傍図」にも描かれています。練馬の円光院子の権現に至ることから権現道と呼ばれ、また鎌倉道とも目される古道でした。それが、阿佐ヶ谷駅開通を機にそれまでの二間から三間に拡張、やがて両側に商店街が立ち並ぶようになります。パールセンターの愛称は昭和35年(1960年)に公募で決まったものです。なお、中杉通り開通に伴い世尊院のところで南北に切り離され、北側のものは松山通りとなったことは既に触れました。