神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

新堀用水3

2016-10-06 06:43:17 | 桃園川2

 新堀用水をさかのぼる三回目です。「阿佐ヶ谷神明道」を越えたところで、左岸流一本となりましたが、右カーブで西に向きを転じ、すぐに馬橋通りを越えます。なお、下の地図に書き込んだのは「杉並町全図」(昭和4年 小林編纂部)などにある右岸流ですが、実測図ではないので大雑把なものです。また、日本地形社の「昭和11年測図 同22年補修」(1/3000)に描かれている弁天池も重ねましたが、同図の右岸流は現行と同じく「阿佐ヶ谷神明道」以降です。

 

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    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

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    1. 細かい蛇行はありますが、全体としては右カーブで徐々に西寄りに向きを変えます。

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    2. 馬橋通りを越えます。右写真は左岸段丘上にある杉並第六小学校前からのショットです。

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    3. 右岸流の流れていた付近から左岸流の方向を見ています。その間50m弱が水田の幅でした。奥に見えるのは杉並六小です。

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    4. 左岸流跡の遊歩道はなおも続きます。一方、右岸流と重なる道路はありません。

 <馬橋弁天池>  新堀用水は桃園川の一支流を利用したもので、元々の源流は周辺の湧水でしたが、その一つが右岸流脇にあった馬橋弁天池で、→ 「馬橋村絵図」にも描かれ、「字池渕」と付記されています。「杉並風土記」(昭和62年 森泰樹)によると、代々馬橋村の名主を勤めていた大谷家の屋敷にあり、10坪ほどの広さの池の傍らには弁天様が祀られていました。明治末に弁天様は馬橋稲荷境内の水神社に合祀され、戦後池が埋立てられた際、池畔にあった弁財天の→ 石碑もその社前に移されました。現在旧地に池の痕跡はなく、付近の銭湯の名に思い出を留めているだけです。