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「黄昏の詩人 堀口大學とその父のこと」 工藤美代子

2015-02-03 | 読書

ミラボー橋 2014/4/2 午後3時頃 ツアーバスの中から、一瞬に過ぎ去るミラボー橋。


 

ミラボー橋   ギョーム・アポリネール

詩集「アルコ ール」(1913)収録  堀口大學訳   
   

ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ
      われらの恋が流れる
     わたしは思い出す
   悩みのあとには楽しみが来ると

      日も暮れよ、鐘も鳴れ
      月日は流れ、わたしは残る

   手に手をつなぎ顔と顔を向け合はう
       かうしていると 
     われ等の腕の橋の下を
  疲れたまなざしの無窮の時が流れる

      日も暮れよ、鐘も鳴れ
      月日は流れ、わたしは残る

   流れる水のように恋もまた死んでいく
      恋もまた死んでゆく
     生命ばかりが長く
   希望ばかりが大きい
                                    

      日も暮れよ、鐘も鳴れ
      月日は流れ、わたしは残る

   日が去り、月がゆき
       過ぎた時も
     昔の恋も 二度とまた帰って来ない
   ミラボーー橋の下をセーヌ河が流れる
 
      日も暮れよ、鐘も鳴れ
      月日は流れ、わたしは残る

https://www.youtube.com/watch?v=E_NvpzZsAl0


今年になってからだったかな、BSアーカイブスで堀口大學の再放送があった。初回は見ていない。堀口大學は私が若い頃はまだ生きていて、とても偉い人という印象。詩を読んだり語るのは軟弱と思い込んでいたのは私自身の若さの過ち、とは言え、その時は読みたい本、読むべき本がたくさんあってご縁がなかったのが今になれば残念である。

若い時に堀口大學を読んでおけば、私の人生ももう少し豊かになっていたのではないかと思う。人との付き合いももっと丁寧に、別れた後もいい印象を残したのではと、多分それはないけれど。

堀口大学の祖父は越後長岡藩の足軽、戊辰の役で戦死し、祖母は貧しい中、息子九萬一に学問を付け、息子は期待に違わず東京に出て外交官になる。大使として海外に在駐し、息子大學を同じ道に進ませたいと思うが、大學は結核を発病し、以後30歳まで父の庇護の下、フランス語やフランス文学の勉強をしながら海外生活を送る。

庶民にとっては海外旅行なんて、夢に見ることさえない1910年代、詩人はスペインで、画家マリーローランサンと知り合い、憧れる。その出会いは詩人の感性を一層磨いたことと思う。

詩は男子一生の仕事にあらず、と言われるのは今の時代も同じだと思うが、当時はいっそうそうだったと思う。しかし父は大學の才能を見抜いて尊重し、経済的に庇護している。これはなかなかできることではないと思う。

一人の詩人が生まれるにはいろいろな条件が揃わなければならないのだと思う。

大學の詩は定型詩から自由で、その感性もまた日本的湿っぽさがない。言葉は軽いようで、他のどの言葉にも置き換えられない硬質な構造をしているのではないだろうか。

彼の詩で日本語の表現の幅はうんと広がったと思う。と言いつつ、真面目に体系立てて読んだことないので、次は堀口大學の詩も読みたいと思う。


余談ながら大學の祖母、千代は偉いと思う。武士という身分がなくなった時代の未亡人、授産施設で織物を教わり、必死で身に着けたという。織りの教室で遊びまくって全然覚えない私とは心構えからして違う。反省した。同じ時間を過ごしても何もできないなら、人生の時間の無駄。これからはまじめにやろう。

大學は17歳まで、海外生活をする父と離れて、その千代に育てられる。武家の妻として一本筋の通った人だったのだと私は思う。昔の人は苦労もたくさん、そして偉いなあと感心した次第。

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