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センター試験の頃

2013-01-21 | 日記

新聞にセンター試験の問題が掲載されている。もう本気で見なることもないけど。

センター試験といえば、長男のセンター試験。本人の成績以前に、翌朝の阪神淡路大震災のことが記憶に残っている。

もう18年前になるんですねぇ。ネットはまだまだ未発達。夫がパソコン通信のニフティに模範解答が出ていると、前夜遅く話していたけれど、息子はこれまた夜中過ぎにテレビで模範解答見て、すっかり落ち込んでふて寝してしまった。

翌朝、大きくはないけれど、とっても長い間、ゆっくりと、ゆらゆらゆらゆら~と揺れるので目が醒めて、「ああ地震だあ・・・」と思ってまた寝てしまった。あれが今に続く天変動地の始まりだとは・・・

翌日から、テレビの画像を呆然と見ていた。一日地震が早かったら、受けられない子がたくさんいたことだろう。息子の試験の成績なんて、そんなものはどこかへ吹っ飛んでしまって、テレビを呆然と蜜続けた日々。焼け出された人がお気の毒で、成績なんかでくよくよするのがとても小さなことに思えた。。

神戸大学の二次試験は岡山と大阪に分かれて実施されたし、大学合格後、息子が東京の友達のところへ遊びに行くのに、神戸市内の被災地は「鉄道代行」という行先表示を掲げた各地からの応援のバスが走っていたと聞いた。

友人はその頃、息子さんが名古屋にいたけれど、行くのは飛行機で。飛行機が就航していたんだと思う。

そうそう、その頃どの模試でもほとんどトップを取っていた神戸市内長田高校の女子生徒が、週刊朝日の表紙を飾っていた。彼女は東大へ進学したんではなかったかしら。神戸の希望の象徴としての意味があったのかも。

五月に京都へ行ったときには新幹線はもう復活していたのかどうか記憶にないけれど、神戸市内はまだまだ瓦礫をビニールシートをかけていた。

あれから18年、神戸はきれいになったけれど、あの時の教訓、忘れないようにしなければと改めて思った。

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